『嘘』
                                   瀬本明羅

 かずやんが、大きな丹波栗の樹を見つけた。山の中の一軒家の裏庭の崖の上である。   「丹波栗は、久しぶりだのん」  かずやんは、五人の仲間を振り返りながら涎をたらしそうになっていた。半ズボン、半 袖シャツでは、目の前の樹に登ることは危険であった。他のだれもが、家のものに見つか るということより、かずやんの怪我のことを心配した。  「おらがのぼーわ」。信ちゃんが言う。すると、他のだれもが、「おらが、おらが……」 と言い始めた。他のみんなは、長ズボン、長袖シャツを着ていた。私は、その友情の篭っ た言葉を吐く勇気が出ずにいた。  「あきら。お前登れや」。かずやんがにらみ付けながら言った。  私は、どぎまぎした。咄嗟に返事ができなかった。  「ふん、お前は、六年生のくせに気が弱いけんのー」  そう言い出すと、かずやんは、太い幹にむき出した腕と足をからませ登り始めた。  「あきら、何しとる。見張りをせいや」  樹の上からかずやんが言った。私は言われるままに、後ろに下がって少し高いところか ら見張ることにした。  他の者は、樹の下で栗のいがが落ちるのを待っていた。  やがて、大きないががぼろぼろ上から落とされた。みんなは、すばやく茶色に色づいた 実を拾いあつめた。私は、その姿を羨ましそうに上のほうで眺めていた。私に分け前はあ るのだろうか。そう思って、周りの秋草を蹴散らしていた。  「かずやん、もうポケットに入らんが。もう降りれや」  下の者が言う。  「だれか袋持っとらんかい」  かずやんが上から言う。  「あげだったのー。袋持って来りゃーよかったのー」  下の者が答える。  「もう降りれや。見付かーけん」  下のだれかが不安げにそう言う。  「まだ、まだ。てっぺんのほうにいい実があーけん」  かずやんがそう言い終わると、崖下から怒鳴り声が響き渡った。  「こらー。ここへ降りてこい」  かずやんは身軽である。待ってましたとばかりにするすると樹から滑り降りた。仲間た ちは、一目散にあらかじめ想定していた抜け道へと駆け込んだ。  赤土の山道を駆け下りながら、私は、そのとき何を考えていたか。  そのことは全然思い出せない。ただ、何時の間にか、大粒の栗の実が手のひらの中にあ った。汗で湿っていた。その感覚は、今でもはっきり思い出せる。  拾ったものか。だれかが恵んでくれたものか。  そのことをしきりに思いだそうとするが、ほんとに思い出せないのである。  しかし、罪を犯したことに変わりはない。見張りをしたこと、報酬らしきものを得たこ と、このことは真実である。  また、その翌日のことは鮮烈な記憶として残っている。  「きのう、お前たち、丹波栗盗んだげなのー」  小学校の級友が、私に言った。私は、どう言っていいか返答に窮した。そして、苦し紛 れに、「……証拠があるか」と強い調子になって言った。自分でも驚くほどの鋭い語調で あった。  「お前の顔を見たものがあーけんのー」  私は、もういかなる弁解もできないと思った。諦めたのである。罪を認めよう。そして、 教員の小言、親の小言を受け止めよう。そんな気分になっていた。  しかし、意に反して、飛び出した言葉は、「昨日は、親類にいっとったけん、そんなと こでうろうろしているはずがない」  級友は、じゃ、お前のおとっつぁんに聞いてみーけんのー、と言った。  「おお、聞いてくれよ。おらは、嘘はつかんけん」  内心どきどきしながら、そう言い放った。  それきりで、教員から呼び出されもせず、親からも何も言われなかった。何もないと、 かえって気持ちが悪くなった。その級友とは、それから口をきくことはなくなった。幾日 も重いこころで足をひきずって学校へ通った。  ……今まで数え切れないほど嘘をついている。  嘘。嘘があるから生きてこれたかもしれない。