爪 楊 枝

                        瀬本明羅

     爪楊枝職人に新助という人がいた。            この人が作る手作りの楊枝は、鋭くて、また、柔らかくて、そして、何より折     れなくて、沢山の客がつくほど重宝がられていた。      しかし、何しろ一本いっぽん作るのだから、たまったものではない。注文が多     いときには、徹夜することも稀ではなかった。      材質選びにも至極神経を使っていた。杉。こりゃだめだね。檜。こりゃ臭くて     いけないね。欅。とんでもない。やっぱり黒文字だね。全国どこでも生えている     し、香りがこたえられない。春に、山でこの木の黄色の花を見つけると、もう、     天国だね。秋には黒い実がなる。庭木になんぞしているやつがいるが、どやして     やりたいね。山のものは、山が一番だ。だから、いつも山登り。この歳になって     も、若いもんにゃ任せられない。木には素性というものがあって、人間と同じで、     根性が悪いのがいる。こいつに掴まっちゃおしまいだね。若いもんは、そこのと     ころが分からない。息子に任せるときは、俺が山で死ぬときじゃ。それまで、息     子に教えておきたいことがたくさんある・・・・・・。      新助じいさんが話し出すと、際限がなかった。      じいさんは、一日中仕事机に向かって、小刀で楊枝づくりをしていた。      ときどき、若い、と言っても、三十台半ばくらいの女が出入りして、お茶を淹     れていた。      新助じいさんは、そのときだけ、ちらとその女を見て、微笑んだ。      「ああ、ありがと。母さん」      そして、そういう言葉でお礼を述べた。     じいさんにとって、その女は、孫でもないし、まして、息子の嫁でもなかった。     ただ、じいさんは、そう呼ぶことにしていた。そして、ゆっくりとお茶を飲み、     その女の顔をしばらく見つめて、また、仕事を始めた。深夜になり体が疲れると、     眼鏡をはずし、手を合わせて、「母さん」、と祈った。手先が小刻みに震えるよ     うになり、仕事の能率は低下する一方だった。            ある日の朝、木の皮剥ぎをしているときだった。その女が、また、お茶を淹れ     にやってきた。      「じいさん、今日限りにしていただきます」      そう言った。      すると、じいさんは、持っていた小刀を、ぽとりと落とし、口をもごもごさせ     たが、言葉にならなかった。顔が次第に青ざめてきた。      「再婚することになりました」     女は、そう呟くように言った。      じいさんは、一層青ざめて、今度は、わなわな震えだした。      「・・・私は、あなたの母さんじゃありませんから」      「・・・・・・」            「近所にいて、貴方の仕事ぶりを見ていて、男所帯じゃ大変だろうと、そう思          って、今までやってきました。もう五年になります。最初、突然、母さんと呼ば     れて、正直びっくりしました。でも、不思議なもので、そのうち本当の母みたい     な気持ちになりました」      じいさんは、青ざめた皺だらけの顔で、目だけぎょろつかせ、女の言うことに     耳を傾けていた。      「でもね。ときどき、隣の町から来てあげますからね。いい仕事してください     ね。」そう言うと、女の方も落ち着かなくなってきた。      「章さんに、一度だけ、結婚してくれ、と言われました。でも、若い男が怖く     なっていましたから、素っ気無く断りました」      「章が、そんな・・・・・・」やっとのことで、じいさんがそう言うと、「え     え、もう強引でしたので・・・・・・」と、女は、最後の言葉を呑み込んだ。      「じいさんが、もっと若ければ、もしかして・・・・・・」      そう言って、女は、大声で笑った。そして、立ち上がると、玄関に向かって出     ていった。      それきり、女は、長らく姿を見せなくなった。      ところが、ある日、突然また仕事部屋に現れた。      「長いあいだ、ありがとうございました。明日が結婚式です」      両手をついて、丁寧に頭を下げた。      「あれから、仕事が手につかなくて・・・・・・」      新助じいさんは、すっかり元気を無くしていた。      「また、来ますからね。元気出して仕事してくださいね」      じいさんは、ごそごそと、紙に何かを包みこんでいた。      「じゃ、失礼します」      「母さん、ちょっと待ってくれ」      じいさんは、紙包みを差し出した。           「何ですか」      「何にも、あげるものがないから、これ、爪楊枝じゃ。旦那にあげてください     な」      「これは、じいさんの形見。使いませんよ。自分で大切にしまっておきます」      そう言って、女は、新助じいさんの体を力を込めて抱きしめた。      仕事場で、ものを投げつける大きな音がしたので、息子が駆けつけて、覗いて     みると、部屋中に爪楊枝が飛び散っていた。         その部屋の真中で、新助じいさんが、蹲って泣いていた。      息子は、どうすることもできなかった。              (了)