『雨上がりの朝』
紫陽花の花というと、見慣れた花、ありふれた花という印象が強い。
少年の頃、農家の庭先にはたいがいその外れに植えられていたし、山影に無造作に咲いてもいた。
人に大切に育てられている花とは思えなかった。
咲き頃を過ぎると、日照りの中、乾ききり干涸らびて無惨に枯れ果てた花びらの残骸を
誰も弔うわけでもなく、通りすがりに気に留めるふうもない。
その紫陽花を健気に思うようになったのは最近のことである。
あれだけの花弁を身に纏い、すっくと身を律するのは大変なことである。
筋を引いたように降りしきる重たい雨の中、じっと訪れを待つ強さ。
そして、雨上がりの朝のしじま、名残の水滴を残し鮮やかに光り輝く。
写真と文:村上 馨 (2004年6月 松江市月照寺)