唱歌「故郷の空」(大和田建樹作詞・スコットランド民謡)の原型
・・・・『嗜み』8号(文藝春秋企画出版部)を読んで
                              瀬本あきら
 思いがけないこともあるものである。  ある講演会の後で購入した雑誌、『嗜み』8号(文藝春秋企画出版部)の中に、松本侑子 氏の「故郷の空」というエッセイを見つけたのである。2010年10月発行のものであ る。しかも、その中で引用されていた唱歌、「故郷の空」(大和田建樹作詞・スコットラ ンド民謡)についての意外な事実を知ることになったのである。
 その雑誌自体、私は初めて手にするものであった。「たしなみ」とは面白い誌名だなあ と思い、誌名に惹かれて即座に買ったのだが、長い間読まずじまいだった。  そしてある日、思い出してパラパラめくって拾い読みしていた。すると、松本氏の文章 が載っていたので、おやっと思い引き込まれて読んだのである。へえー、こんな雑誌にも ・・・、と思った。  その号の特集のテーマは「空」で、宇宙、雲、飛行機などといろいろな角度から「空」 に関わる文章が掲載されていた。松本氏のエッセイは「大空からの贈り物」というサブテ ーマで括られている文章の一つだった。  昭和63年3月に初めて飛行機に乗って、アラスカのアンカレッジ空港経由でパリに行 ったとき、初めてオーロラを見て感激した経験から書き始め、その後の文学の故郷を訪ね る世界旅行へと話が展開する。  そして、最近は「文学ツアー」を企画して、読者とともに文学が生まれたところ、文学 の舞台となったところを訪ねて作品の世界を知り、感動を分かち合うという活動をしてい ることがつづられていた。  ある年、スコットランドの牧草地をバスでこえていくときに、「蛍の光」で知られる詩 人、そして、スコットランドの民謡に「麦畑」という詩をつけた詩人、ロバート・バーン ズの話をし、その「麦畑」の歌が、後に日本では大和田建樹が詩をつけて、あの有名な唱 歌「故郷の空」が誕生した・・・、という経緯を説明して、その懐かしい「故郷の歌」を 松本氏が朗読したそうである。すると、松本氏は望郷の思いがこみ上げてきて涙を催し、 バスの中でもあちこちで「鼻をすする気配」がしたという。 1.夕空晴れて秋風吹き  月影落ちて鈴虫鳴く  思へば遠し故郷の空  ああ、我が父母いかにおはす 2.澄行く水に秋萩たれ  玉なす露は、ススキに満つ  思へば似たり、故郷の野邊  ああわが弟妹(はらから)たれと遊ぶ  不明の私はここまで読んでもこの唱歌の誕生の経緯については分からなかった。  私の理解では、1970年ごろに大流行したなかにし礼の作詞でいかりや長介とザ・ドリフ ターズが歌った「誰かさんと誰かさん」の歌が「故郷の空」の替え歌だということが頭の 中で固定化していた。 誰かさんと誰かさんが麦畑 チュッチュッチュッチュッしている いいじゃないか ・・・・ なんという歌か。原作の歌詞がめちゃくちゃじゃないか、などと憤慨していたのである。 しかしながら、よくよく調べてみると、このザ・ドリフターズ版が一番元歌の雰囲気を醸 しだす歌詞だったのである。 故郷を遠く離れて暮らす人が秋の夕暮れに、ふるさとの両親を思う気持ちが歌詞に盛り込 まれていて、日本人の心の故郷を感じさせる歌の原型が実は卑猥な俗謡みたいな歌詞だっ たと知った私は、愕然とした。  原形は、「ライ麦畑で出逢うとき」という題名だそうである。詩はスコットランドの大 詩人・ロバート・バーンズの作である。 バーンズの本来の歌詞は、麦畑でイチャイチャしているという猥らな歌、春歌であった。 大和田はバーンズが書いたこの歌の原詩を知らなかったようで、全く違う歌詞をつけたの である。英語文化圏では、この歌に対しては「猥雑な歌」という認識が強く、ネガティヴ なイメージしか抱かれないというが、日本では「故郷の空」は明治以後、教育的な唱歌と して歌われていくことになる。(『Wiki』より) 戦後、この歌をバーンズの原詩に近い形に改作したのが、詩人の大木惇夫と声楽家の伊藤 武雄共作による「誰かが誰かと」。東京藝術大学の教授だった伊藤は当時、東京大学音楽 部の指導をしていた経緯もあって、外国の歌はもっと原語に忠実に訳すべきという考え方 からバーンズの原詩に近い形に戻した。(『Wiki』より)  因みに、大和田は彼の「鉄道唱歌」等の国民的唱歌も作詞している。(敬称略)