面影

村上 馨


 今年六十二才になる従兄弟、真辺恭一の娘、瑞江と再会したのは、ほかならぬ恭一の葬

儀の日である。瑞江の口を借りれば、おそらく三十年ぶりになるはずであるが、最初は何

の意識もなかった。瑞江の存在すら私は疾うに忘れていたほどである。そもそも、私がこ

の葬儀に参列すること自体ひょんな成り行きからであった。

 真辺恭一のことを小さい時から私は恭さんと呼んでいたから、ここでも親しみをこめて

彼のことを恭さんと呼ぶことにする。私の母は三人兄弟である。一番上が長女のハルおば

さんで、恭さんの母である。二番目が長男で跡取りの房夫おじさん。そして三番目末っ子

が私の母である。温泉旅館のフロント係をしていた恭さんが三年ほど前に突然仕事中に倒

れ、病名はよくわからないが、意識不明になったまま半植物状態で入院していることは、

母から聞いて知っていた。母は、実家からわりと近くに嫁いでいたので、房夫おじさんの

家との行き来はよくあったが、ハルおばさんは、私の実家から八十キロも離れた隣県の町

に住んでいて、しかも未婚の母という異色の経歴に加え、新興宗教にも熱心で親戚筋から

はいくぶん敬遠されていたこともあって、何事かないと会うことはめったになかった。そ

ういうことも影響してか、私も母の家とハルおばさんの家とのほぼ中間地にあたるM市に

住んでいながら、一度も恭さんの見舞いには出かけたことはなかった。意識もなく、口か

らものも食べれず生きているとは言い難い人を見舞ってもしようがないと、薄情にも思っ

ていた。恭さんが倒れたのを機に、ハルおばさんの家には、奇妙な偶然が折り重なったと

いうか、立て続けに不幸が押し寄せたことも母の口から聞いた。一年後には、大阪に嫁い

で三人の子どももいた長女の瑞江が突然アル中気味だったという夫と縁を切り、三人の子

どもを引き連れて実家に帰郷していた。その一年後には、恭さんの妻がこれまた病気で倒

れ、こちらは癌だったこともあって、すぐさま他界した。そしてそのまた一年後、今度は

とうとう恭さんが妻の後を追うように静かに他界した。倒れてからというもの、結局最後

まで意識はもどらなかった。口からものも食べなかった。それでも恭さんは、不思議なこ

とに三年もの間、実に千日以上にわたってこの世で生きつづけたのである。

 母から恭さんが亡くなったと電話が入ったとき、私は見舞いにも出かけなかったことを

後悔した。小さい頃、私は恭さんに弟のように可愛がられていた。恭さんの奥さんの葬儀

のときも葬儀には母が出かけた。今度も母と房夫おじさんが出かけるべきところだったが

房夫おじさんは、このところアルツハイマーがひどくなりとても外には出せないと言う。

母は母で白内障の手術を控えていて遠くには出かけたくないと言う。

「おれが行くよ」と、すぐさま母に言った。今度ばかりは不義理できなかった。それに、

私も行かなかったら、我が子とその妻にも先立たれたというのに、ハルおばさんの身内は

誰も参列しないというひどい話になってしまう。

 斎場について真っ先にハルおばさんを探した。と言うより、私はハルおばさんしか顔が

わからなかった。みなすでに席についていた。小柄なハルおばさんはすぐに見分けがつい

た。ハルおばさんもずいぶん老け込んでしまった。小さい頃会ったきりかもしれない。人

当たりもよく、口達者で布教活動にも熱心な人だったから気丈な人という印象が強いが、

今はその面影はなく、すっかり小さく縮こまり、小枝のようにか細くなってしまっている。

最初は私が誰かよくわからなかったようである。「おばちゃん!」と私が大きな声で呼び

かけても、きょとんとしたままである。そこへ駆け寄ってきたのがほかならぬ瑞江だった。

「お久しぶりです。瑞江です。今日はお出かけにくいのにわざわざありがとうございます。

お元気でしたか?」

 私は驚いた。さも旧知の親しい間柄の人に久しぶりに会って、懐かしさを込めて話しか

けるとでも言いたそうな、優しさに満ちたその声と言葉を聞いて唖然とした。「どなたで

したか?」などと聞き返す野暮な勇気は毛頭なかったし、すぐにそれが、かすかな記憶に

甦る恭さんの娘その人であることぐらいは察しがついた。いつしか知らず、ずいぶんな大

人になったものだ。三十代は優に越えているだろう。喪服の着こなし、足の運びにもあか

らさまには露出されないが、不思議なほどの色香がこもっている。不謹慎だが、私は美し

いと思った。感動したと言ってよい。

「しばらく見ぬ間にずいぶん大きくなって・・・・」

 私はそれだけ言うのがやっとだった。

「おばあちゃん、アキおばさんところのミツオさんが来てくださったのよ」

 それでやっとハルおばさんは私がわかった。

「おおっ・・・・」と、叫ぶように私の両腕を握りしめ胸に抱き寄せた。

「よう来てくれたなあ。ほんとに。アキの子がねえ・・・・。大きくなって。うちの恭一

にそっくりだがねえ・・・・今日はほんとにありがとうなあ・・・・」

 ハルおばさんは涙ぐみはじめた。それにしても、瑞江は人の名前までよく憶えている。

この孫娘もハルおばさんを助けて布教活動に携わっているのだろうか。さもありなんとも

思える。親戚筋や知人の間柄、住むところ、職業や名前を確実に掌握していなくては布教

活動は基本的にできない。そんなことに疎いというか関心の薄い私とはたいそうなちがい

だ。瑞江に促されて、私のために空けられていた最前列の席についた。また瑞江が寄って

きて言った。

「親戚代表でご焼香をお願いします」

「えっ、ほかにもっと近いそれなりの方がいらっしゃるでしょう」

「いえ、ほかにはお年寄りと女ばかりで、こんなことお願いできるしっかりした方はあな

たしかありません。それからご焼香終わったら、出口に立って私たちとみなさんのお見送

りもお願いします。こんなこと頼める人はあなたしかいないのです。とにかく、どうかお

願いします」と言って、深々と頭を下げた。

 瑞江にそこまで懇願されると、もう黙って肯くしかなかった。何かのついでのように軽

い気持ちでここに赴いたのだが、それで恭さんやハルおばさん、それに瑞江の顔が立つな

ら喜んで私にできる役回りを演じてあげようという気になった。

 葬儀も終わり、参列者を見送り、私は早々に辞そうとしたが、またも瑞江が引き留めた。

遠くの人もいるので、このまま初七日の法要も済ませ、仕上げの席を設けているので、そ

れにも同席してほしいと言った。私は、ほとんど知らない人ばかりで、そんな席は荷が重

いので差し控えたいと言ったが、瑞江は聞かなかった。

「あとでお話したいこともあります」と、言った。その妙に気になる含みが私を惹き、結

局居残ってしまった。

 仕上げの席で手持ちぶさたにしている私のところへいち早く瑞江がやってきた。私はま

じまじと瑞江を見つめた。顔立ちは、母方から受け継いだものだろう。いくぶんふっくら

としていて色白である。目元、口元は父方のものだろう。瑞江がさりげなく微笑むとき、

そこには、なぜかしら、どことも言えないのだが、他人とは思えなくなるような不思議な

色合いが滲んでいる。それは、私に何かしら秘密めいたことをほのめかすような、ある種

共犯めいた暗黙の了解がそこにあるような、そんな解き明かすことのできない因縁めいた

ものさえ感じさせるのだ。深い闇の底に横たわる得体の知れないもの、それが私を、私の

意に反して突き動かしていくような・・・・。

「わたし、今でもとてもよく憶えていることがありますのよ」と、瑞江は切り出した。

「まだ小学生だった頃、父に連れられてお家を訪問したことがありました。学生だったあ

なたもちょうど帰省なさっていて、わたしたちが木戸道を上って行ったとき、あなたが庭

先に立っておいででした。なぜかそのときの光景をとてもよく憶えています。たしか、そ

のときはじめてあなたとお会いしたと思います。父とあなたは互いに笑いかけながら、た

ぶん元気だったかなどと月並みながらも親しみを込めて声を掛け合っていたと思います。

わたしは、何だか不思議なものでも眺めるようにあなたのことを見ていたように思います。

それからお家の中に上げてもらって、しばらく父はあなたやあなたのお母さんとあれこれ

話していました。父が何の用事があったのかはよくわかりませんが、それからあなたがい

なくなって、帰り際にやっとあなたがまた追いかけてきて、これを、と言って渡してくれ

たものがあるのです」

「ぼくが・・・・?あなたに何を?」

「首に掛けるペンダントでした」

「ペンダントを?!」

 強烈な匂いにも似た刺激が私を襲った。三十年の空白の時を超えて、あの日の記憶がま

ざまざと甦るのだ。

「それをまだ持っているの?」

「ええ、あります。でも今ここには・・・・」

「良ければ、今度それを見せてもらえないか。改めておじゃまする。おばあちゃんも元気

づけてあげないといけないし、また連絡するよ」

 そう言って、私は瑞江に私の携帯電話の番号を教えた。瑞江の番号も訊いた。どこかし

ら秘密めかした遣り取りでもするようにひそひそと・・・・。



 それから一週間ほどして、私は母の住む実家へ帰った。母に葬儀の報告をするというこ

ともあったが、ほんとうの狙いは、瑞江と会った日を現場で再生することにあった。なぜ

こんな大切なことを私は忘れてしまっていたのだろう。そのことを瑞江が口にしなかった

ら私は思い出さなかったにちがいない。瑞江はいきなりこのことを口にした。なぜだろう。

当たり障りない世間話で間を取ることもせず、いきなり私を揺さぶった。恭さんと私は、

なるほど姿形も話しぶりも似たところはあったかもしれない。ハルおばさんもそう言った

ほどだから、実の娘たる瑞江がもっと父親に近づけて私を見ていたとしても不思議ではな

い。その私が父親の葬儀の日に三十年の時を超えて現れた。

 私は庭先に立って、木戸道を窺う。時間はまちがいなく午後、それも陽はかなり傾きは

じめていたはずだ。娘瑞江の手を取って、笑いながら木戸道を上ってくる恭さんの顔が背

後から射し込む陽を浴びて薄暗く影っている。

「元気だったかね。何年ぶりだ?」

「ええ、ほんとお久しぶりです。何とかやってます」

「今日ここで会えるとは思わなかったよ。どうして?」

「学校春休みで、たまたまです。相変わらず気まぐれですから」

「いつも本音を出さずはぐらかすのは、きみ流の処世術かね?まあいいや。いいところで

会えた。ところでお母さんは元気かね?」

「ええ、いますよ。どうぞ上がって下さい。喜びますよ」

 私たちは並んで歩きはじめた。横に立った瑞江は私の肩先までも届かない。

「はじめてですね、娘さんとは・・・・」

「そうだったかねえ、そりゃ失礼した。瑞江、ごあいさつしなさい」

 恭さんに促されて、瑞江はきょとんとしながらも私の方を見上げ、ぺこんと頭を下げた。

振り向いて私を見上げた瑞江の顔に、春の日のきらきら眩しい西日が射し込んで、瑞江は

一瞬顔を曇らせた。その表情を私は今も忘れてはおらず、今ここに甦らすことができる。

美しいものにはあやしさも潜んでいる。それゆえ、私はそういうものに惹かれていく。そ

れは、おそらく本人が生まれてから培ったものではなく、遠い過去世から引き継いできた

ものだ。私は独り言のように裡で呟く。

『女の子は、もの心つく前から、すでに女である』

 それは、著書も著者も思い出せないが、その頃読んだ小説の一節で、以来、私の中に強

く宿った言葉である。私はその言葉を反芻していた。

 母を加えて居間で四人が卓を囲んであれこれと話しはじめた。恭さんがわざわざ母を訪

ねてきた理由はわかりきっている。選挙が近いからだ。宗教母体の推す政治家を当選させ

るための活動において彼らの右に出るものはいない。母は、黙ってただ聞いている。反論

はしない。そういうことに関わり合いたくないのだ。母がときどき肯くのは、話を聞いて

いますよ、という意味であって決して話を了解したということではない。こういうことは

互いに自分の都合のいい方に引き寄せて、まったくちがう受け止め方をするだろうことは

往々にしてある話だ。母は話題を早く変えたがっていた。

 私はときどき瑞江を盗み見ていた。瑞江は押し黙ったまま、恭さんと私の母の方を代わ

る代わる見ていたけれども、瑞江が私の視線を感じて意識しているらしいことは、私の方

を決して向かないことで察しられた。恭さんと母が世間話に転じて、場がいくぶん和気藹

々な雰囲気になった頃を見計らって、私は二階の自室に駆け上がった。そして、押入に山

と押し込んである段ボールの箱をひとつずつ開いていった。そのとき、私に突如ひらめい

たこの企てはとても説明することはできない。さまざまな思い出や今湧き起こる思いが錯

綜し入り乱れる中で直観的にあるひとつの行為が浮かび上がることもある。私はあるもの

を探しはじめる。それは、その段ボール箱の中のどこかに眠っているはずである。やがて

私は、やや変色しはじめているチリ紙にくるまれたそれを見分ける。そこで、また忘れて

いた記憶が甦る。それは、取り立ててどうということもない首から掛けるペンダントなの

であるが、訳あって結婚した私の恋人が別れ際に私にくれたものだった。彼女は、私にこ

んなことを言った。

「わたしには、あなたに何もあげるものがないから」と、言って首からそのペンダントを

外し、「これを、いつかわたしの代わりになる人にあげて」と、言って私に手渡した。そ

のとき、私は彼女の思いを汲んでいたはずだった。ずっと、このペンダントを誰かに渡さ

なければならないと思っていた。それを彼女との約束のように思っていた。必ずしも、私

が結婚する人にではない。かつて私が愛した彼女に相応しいような人に渡してあげたいと

思っていた。

 あわてて階段を駆け下りると、恭さんと瑞江はすでに帰り支度をはじめていた。

「何をしていたんだい?おまえ・・・・」と、母が訝しんで言ったので、その場で手渡す

ことができなくなった。母が玄関口で見送り、私は木戸道までついて出た。そこで、恭さ

んが、何を思ったか、「おばちゃん」と叫んで駆け足で母のもとへ引き返した。そのタイ

ミングを見計らった。

「せっかくきてくれたのに、何もあげるものがないから、これをあげる」

 瑞江はきょとんとしている。びっくりとも不思議ともつかぬ顔つきで、しげしげと私を

見上げる。

「ある人からもらったもので、ぼくがとても大切にしていたものだ。たいしたものではな

いけど、いつまでもぼくが持っていてもしようがないからきみにあげる」

「そんな大切なものをどうしてわたしなんかに・・・・?」

「こんなことに理由はないよ。あげたくなったからあげる。そういうものだよ。まあそう

いうことにして受け取っておきなさいよ」

 瑞江は両手を差し出して、大事そうに壊れ物でも扱うようにそれを受け取った。恭さん

がまた引き返してきたとき、私が目配せをすると、瑞江は素早くそれをポケットにしまい

込んだ。

 黄昏のおりはじめた木戸道を二人が下って行くのを私は見送った。そのときの瑞江の後

ろ姿を私はいつまでも憶えていた。もうシルエットになったおかっぱの髪形まで・・・・。



 葬儀の報告に母のもとに帰省してからそのまた一週間後に、私は勇を鼓して瑞江の携帯

電話を鳴らした。はじめは昼休みを見計らって呼んだが、いつまでも出なかった。やがて

留守番モードに切り替わったので、メッセージを入れた。看護婦だった瑞江は嫁いでいっ

たん仕事は辞めていたが、今またはじめたと言っていたから、時間は不規則なのかもしれ

なかった。夜になって瑞江から電話が入った。車の中だった。その着信音が鳴ったとき、

私はドキリとした。葬儀の日、瑞江から聞いた番号をあとで登録するとき、それとわかる

ように、着信音をそれだけ別のものにしていたから、鳴っただけで瑞江からのものとわか

る。

「すみません。お電話いただいていたのに、今仕事が終わったものですから。遅くなって

しまって・・・・」

「毎日、遅くまで仕事とはいえ大変だね」

「ええ、まあ・・・・でも適当に怠けてますからだいじょうぶ、持ちますよ」

「ところで明日、仕事でそちらに行くのだけど、よかったらこの前話してたように、おば

あちゃんも心配だし寄りたいのだけど、仕事の都合はどうだろう?」

「何時頃来られますか?」

「何時でもそちらの都合に合わせるけど。と言っても午後の仕事だから、夕方か午前中な

ら自由になる」

「そうですか。わたし明日は準夜で、十時半には家を出て、帰るのはたぶん十一時になる

と思います。何ならおばあちゃんにだけでも会っていってもらうといいのですけど・・・

・」

「そしたら、朝早くこちらを出て九時過ぎにはそちらに入るようにするよ。そしたら、き

みとも少しは会って話もできる。いいですか?」

「はい。でも申し訳ないですね。わたしのために無理してもらって。でも楽しみにしてい

ます」

「ところで、この前話してたペンダントのことだけど・・・・」

「はい、今もつけていますよ」

「えっ・・・・」

「あれからまた・・・・葬儀の日にあなたにお会いできて、またつけることにしたんです」

「そう・・・・それはいい。是非きみの首に掛けられたそれをもう一度、三十年ぶりに見

せてもらいたいね。いったいどんなだったか。懐かしいね」

「あのとき、あなたのおっしゃったこともちゃんと憶えていますわ」

「そうですか、実はぼくもよく憶えてる」

 瑞江が口ごもった。意外であったのかもしれない。

「じゃあ、明日そちらに着いたらまた電話入れさせてもらうよ。住所はだいたいわかるけ

ど、家がどこかわからない」

「ええ、お待ちしています」

 そこで電話を切った。瑞江の「お待ちしています」という言葉が必要以上に含みを持っ

て心の奥に拡がっていく。運転しながら車の窓を開け放った。仕事帰りで遅くなった夜の

湾岸道路を走っていた。遠く漁り火が瞬いている。風の渡ってくる音が聞こえ、波音がざ

わめく。

 「わたしには何もあげるものがないから」と、言ってペンダントをくれた別れた女を思

い浮かべた。今はどこで何をしているのかさえ互いにわからないが、こうして目には見え

ない糸は、人から人へと乗り移りながら、その思いをどこまでも遠く伝えていくものなの

かもしれない。瑞江の面倒を見てやらなくちゃならない。そのとき、そう私は心に決めた。

                              2004年4月17日