中途半端な日々
内藤美智子

 うっとり館  温泉が好きで、近在の日帰り入浴施設によく出かける。車の運転ができないので、夫の ご機嫌を伺いつつ、というところがちょっと気に食わないのだけれど。          先日A温泉に出かけた。                              住まいのある松江から車で三十分ほど。                       まだ雪の積もっているところもあって、なかなか風情のある道中だった。実はこのドラ イブが、楽しいのだ。つまらないことをあれこれ話したり、風景に見とれたり、そしてと きには言い争ったり。                                最近お互いに年をとったせいか、意固地になって、どちらもゆずらない。しばらくはプ イと横を向いたりしているのだが、途中で降ろされても、乱暴な運転をされても困るから、 気を取り直して話題を変えたりする。                         土曜日だったから、温泉は賑わっていた。                      受付をすませて脱衣場で準備をしていると、隣のロッカーで衣服を脱いだひとが、何か そわそわと落ち着かない様子だったが、                       「すみません」                                   と声をかけてきた。                               「百円、貸していただけませんか」                          ロッカーに鍵をかけるには百円が必要だったのだ。                 「いいですよ。どうぞ」                               わたしは財布からコインを取り出して、彼女に渡した。               「すみません。助かります」                             と受け取って、                                 「あのう、ここに七十五円あります。おかねが要ることを知らなかったものですから準備 していなくて。主人は持ってるはずですけどもうお互いに裸ですし・・・。もし、上がっ てからお会いできないときは、これで許していただけないでしょうか」          かき集めた小銭をわたしの手にこぼした。その気持ちはよく分かるので、遠慮なくそれ を財布に納め、こんどは自分のロッカーを閉めようとした。               ところがいくら試みてもコインが戻るばかりで、鍵がかからない。多分そのロッカーが 壊れているのだろう、と持ち物一切、空いているほかのロッカーに入れなおし、やってみ るがどうしてもコインは戻ってしまう。                        裸でうろうろしながら、なぜ自分だけがこんな目に遭うのか、と情けなく、しだいに腹 が立ってきた。さっきのひとはとうに浴室に入ってしまっているというのに。       とうとう隣で着替えている若いひとにたずねてみた。 「すみません、どうしても閉まらないんですけど、ちょっとやってみていただけませんか」 「いいですよ」                                   そのひとは、気安く承知して、わたしのコインを投入口に入れようとし、       「あれっ」                                     と声を上げた。                                 「これって、一円じゃないですか。どうりで軽いと思った」              「あらほんと。まあ、すみません、ありがとうございました」              しどろもどろになりながら「この脱衣場、暗すぎる」と内心でぶつくさ。        しかし、お湯は肌につるつると恥ずかしさも自己嫌悪も包み込んで、心地よかった。   露天風呂で、ゆっくりと空を眺めた。晴れた冬の空で、白い雲が呑気そうに浮かんでい た。                                        上がって鏡の前にいるところへ、                         「あのう、さっき百円お借りした方でしょうか」                    と件の彼女にたずねられた。                           「はい」                                      うなずくと、                                  「ここのロッカー、あとでおかねが戻ってくるんですね。よかった、お返しできて」    バッグのなかをごそごそ探っていたが、その百円がどこかへ紛れたらしく、      「あらいやだ、ちょっと待っててくださいね、主人からもらってきますから」      「いいんですよ」                                  引き止めるのも聞かずに、休憩室の方へ駆け出していった。             「オトーサン、オトーサン」                             コインが返ってくることをわたしも知らなかった。よく見れば、ちゃんと明記されてい たのだったのに。                                  わたしは財布の中から先程の七十五円を慎重に取り出して、彼女を待った。       ちぎれ雲と目が合ったから、ここは「うっとり館」と命名してみる。「うっかり館」で はない。                                      白い杖  同じ曜日、同じ時間に、同じ場所で出会う親子連れがある。              六歳ぐらいの女の子とその両親らしい男女で、女の子は白い杖を持っている。どうやら 杖を頼りの歩行の練習中のようで、点字ブロックを探りつつ、ゆっくりと歩いてゆく。う まくゆかず、横道に逸れがちの数歩前後で、女の子を挟むかたちに、両親が見守っている。 雨の日も雪の日も練習は続けられている。                       歩道と車道が交差する地点の境目が、数センチ盛り上げてあるのが、以前から不満だっ た。というのも、ちょっと痛い目にあったことがあるのだ。               買い物の帰りで、自転車の前かごは食料品でいっぱいになっていた。交差点にさしかか り、歩道から車道に出ようとしたそのとき、例の蒲鉾状の盛り上がりで自転車がバウンド し、かごの一番上にあったタマゴが、パックごと道路に飛び出してしまった。       スーパーの袋に詰めて、テープで止めておいたはずなのだけれど、あまかったらしい。  運悪くその日は交通量の調査の日だったようで、歩道の端に机を置き、数人の学生アル バイトが、数取り器を手に並んで座っていた。                     見て見ぬふりをされるのも、辛いものがある。わたしはさりげない風を装って、自転車 を降り、タマゴのケースを拾い上げた。数個はみごとに割れ、中身がケースの中に溶けだ している。                                    「べつに気にしてなんかいませんよ」                         と表情を作ったつもりで、自転車に乗ったが、調査員の目の前を通り過ぎるときは、さ すがに体裁がわるかった。                              酢やドリンク剤など、瓶入りのものを積んでいるときは、いつもハラハラする。ほんの わずかな高さが意外なほどこたえるのだ。                       車に乗っていては決して気付かないことだろう。そして、道路の設計をするひとは、多 分車に乗る人の視点で計画を立てるのだろうと、ずっと恨みがましく思っていた。     わたしは歩けなかったことがある。病気のせいだったのだが、回復したいまでも後遺症 が残っていて、歩くときの足の上げ方が低い。なにしろ昔のことで、リハビリも十分でな かったこともあり、引きずるような歩き方になってしまった。だからつまずきやすい。靴 も爪先がすぐに傷つく。                               ほんの小さな段差でつまずいたことは、何度もある。転びそうになるのはしょっちゅう で、実際に転んだこともある。しかしこれはわたしに限らないだろう。          小さな子どもや老人も怖い目にあっているのではないか。乳母車のあかちゃんは、車輪 が段差を乗り越えるとき、どんな衝撃を感じているのだろう。車椅子を利用する人はどれ だけの力が要るのだろう。                              段差なんか飾りのよぅなものではないか、どうしてなくせないのかとずっと疑問と不信 感を抱いていた。                                  ところがあるとき、新聞の投書欄で同じような主旨の投書をみつけた。同感の拍手を贈 りたい気分でいた数日後、その投書に対しての回答が、新聞に掲載された。        日く、あの区切りは、目の不自由なひとのためのものです、と。            気がつかなかった。自分の不自由しか眼中になかったのだ。              それからは、そこを自転車で通るたびに、おしりを浮かしかげんにしなければならない 面倒さも、ガラス瓶のたてる音も、あまり苦痛ではなくなった。             しかしなんとかならないか、という気持ちは残っている。点字ブロックから離れた位置 に、わずかな開けた部分でもあれば、ずいぶん助かるのだけれど。            女の子とその両親をみかけるようになって三か月がすぎた。              その子の足取りはまだまだおぼつかないが、「レッツゴー」と、めげずに幼い声を響か せている。                                     叶わぬときの  車が行き交う道路端に小さな森がある。                       パート先への行き帰りに、あるときはバスで、またあるときは自転車や徒歩でその脇を 通り過ぎる。                                    もう五十数年も昔、その近辺に住んでいたことがあった。               病を得て戦地から帰ったばかりの父は、わたしを自転車の前に座らせて、よくそこへ行 った。                                       森には小さな社が祭られている。父は自転車から降ろしたわたしを、こんどは肩車に乗 せて石段を上った。                                「これはシイの実だよ」                               茶褐色の頭の尖った木の実を拾い、カチリと歯で割ると、中から真っ白な実を取り出し、 わたしの口に入れてくれた。おいしいともおもわなかったが、小粒の木の実の記憶はいつ までも残った。                                   当時わたしたち親子三人は、父方の祖母の家に居候をしていた。七十六年の父の生涯に 幾度も訪れた、苦難の歳月のうちの一時期だった、といまにしておもう。         奇しくも遥かな時を経て、その社の前を行き来することになった。           横目に仰ぎ見て、父と五歳のころの自分をおもい出すことはあったが、長くその鳥居を くぐることはなかった。懐かしさと、かすかな照れくささだけがあった。         父とは比較にならないにしても、わたしにも、うちひしがれた日々はあった。長い暗闇 をさまよった後に、仄かな明りが見え、そしてようやく身内に活力を覚えることができる ようになりかけた、そんな時期に、縁あってその森から一キロほどの場所に引っ越してき たのだった。                                    わたしは四十歳を過ぎて、あのころの父の年齢をとうに追い越し、夫と三人の子どもと ともに、暮らしていた。                               父は生前何度か我が家に来てくれたが、森の傍を車で通ることがあっても、それについ て触れることはなかったし、わたしも黙っていた。お互いにそれほど大切な記憶というほ どのものではなかった、ということだろう。                      急に思い立って、鬱蒼と茂る木々が覆いかぶさる石段を上る気になったのは、十年ばか り前のことだった。                                 都会の私大に行っていた息子の卒業が危ういという。さすがに慌てた。サラリーマンの 夫の収入とわずかなわたしのパート代で、さらに一年の送金はいかにも苦しい。      思いあぐねて、ある日勤めの帰りに、森の前で自転車を止めた。            消え残る雪が積もる狭い石段を、用心しながら上った。                ドングリやシイの実がたくさん落ちていたが、拾ってみると、どれもみな虫に食われて 空洞になっていた。                                 常緑樹の匂いがわたしを包んだ。バサッと枝から落ちる雪の音に混じって、遠慮がちな 拍手を鳴らした。願いは言葉にはならず、ただうつむいたままの数十秒が流れた。     なんだかどうでもいいような気持ちになっていた。生きていればいいじゃない、留年す ればしたで、それもまたあの子の経験、そしてわたしたち夫婦にとっても、あながち無駄 とはならないのではないか。                             社殿の奥に向き合いながら、わたしは亡くなった父に対していたのかもしれなかった。 「たいしたことじゃあないよ。ただ最後まであきらめさせてはいけないよ」        父なら、そう言ってくれるにちがいなかった。それは同時に、若いときに死を覚悟する ほどの大病をしてなお生き延びることのできた、わたし自身のおもいでもあった。     しばらく佇んだ後、数個の虫食いのシイの実を拾うと、枝から落ちる雪に追われるよう に、またそろそろと石段を下りた。                          さすがにお参りする人もなく、わたしの足跡だけが残っていた。あと五、六段で下り切 る、というときだった。雪に足を取られて、わたしは見事に石段を滑り落ちた。傍らには アパートもある。慌てて立ち上がり、周囲を見回した。だれも見てはいないようだった。 「縁起、わるっ」                                  自分が息子の足を引っ張ったような気がした。わたしはそそくさと自転車に乗り、その 場を立ち去った。                                 「摩利支さん」と呼ばれるその小さな神社の石段を、今では時々上っている。