「別れの美学」の感想(幻冬舎文庫版)

村上 馨


 幻冬舎文庫版(初版平成13年12月25日)
 角川文庫版(初版平成5年1月25日)                                    


 「別れの美学」は、現在出版されているものに、幻冬舎文庫版と角川文庫版の二つがあ

ります。角川文庫版を大幅に改稿され、平成13年12月に初版を出されたのが幻冬舎文

庫版で、ページ数も206ページと角川文庫版の250ページに較べ、随分すっきりと、

そして読みやすくなっており、完成度もぐっと高くなっています。氏の働き盛り、恋盛り?

の10数年の歳月と深い思惟の変遷が成せた技ではないでしょうか。両方を読ませていた

だきましたが、ぼくの感想は幻冬舎文庫版によるものです。みなさんにもこちらをお薦め

したいと思います。



 「別れの美学」・・・それにしてもいい題名ですね。その言葉の響きにまずうっとりし

てしまいます。ぼくが、松本侑子氏の数多い作品の中で、本命の小説をさておいて先ず感

想を書きたかったのも実はそのためです。そして、読後、その題名から拡がるイメージが

期待を裏切らず、とても面白く、熱くなり、そして唸らされました。いろいろな意味でで

すが・・・自らに照らして、ぼくのかつて別れた恋人にも是非これを読ませておきたかっ

たなあ、そして、このぼくも、もっと早く読んでいれば、そうしたらぼくの恋らしきもの

も変わっていたのかもしれないという思いに駆られてしまいました。自らの失敗から言っ

て恋愛は、自然な感情、あるいは成り行きに身を任せておけば成立するというほど甘いも

のではなく、ある能力が必要とされる特殊なものとの思いが強くあり、そういう意味では、

これから恋をする人に、是非とも『恋愛心得帳』としても読んでもらうと、随分得るとこ

ろの多い本ではないでしょうか。

 先に美学ということにも少し触れておきたいと思いますが、松本氏は冒頭で次のように

述べておられます。



 ・・・たぶん美学が、哲学や倫理学にかかわっているからだろう。美とは何か、人は何

を美しいと思うか、という問題は思想の領域なのだ。それはまた歴史や文化によっても異

なる。

 こうした学問としての美学と、本書のタイトルの美学は、まったくの別物である。

 別れは美的なものかどうか、私にはまだわからないし、人によって、その答えは異なる

だろう。そもそも美醜の感じ方自体、人によって違う。

 ここでいう「美学」は、美しいスタイルとでも言おうか。



 ぼくなどは、諦め、往生際の悪い人間であるから、別れの究極は死であり、その絶対的

な局面を前にしたときの精神的支えとして「美学」が必要であると思っていますし、それ

を基準に曖昧な自分を一つの方向へと行動させていくというような思想的側面も持ってい

ます。ですが、根底にあるのは、やはり美意識ではないかとは考えています。切腹や死に

行くことを目的にさせられた戦時中の人々は、散華の思想なくして、自らにトドメは刺せ

なかったのだろうと思うのです。ぼくなどは、別れと聞くと、こういう観念が強いから、

著者の、「本書のタイトルの美学は、まったくの別物」と言われても、どうしてもそうい

う視点で恋の別れも見ようとしてしまいます。そして、感動を覚えたのです。作者の言葉

とは裏腹に、ぼく自身にとっては、本書のもうひとつの意義、拡がりは、そういうところ

にもあるのではないかと思っています。

 中野孝次氏の著書に「生き方の美学」というのがあり、これは、氏がかつて読んだ本の

中で、「これはいい話だな」と心に残った話を20話にまとめてありますが、美しい話と

思われたので、こう題したとあります。美しく生きるとは、いかに自らの美意識に忠実に

生きるかということではないのか、と投げかけておられます。まさに同感なのです。本題

から少し逸れるのかもしれませんが、その話の中に、ぼくの思いにピタッとくる話が載っ

ていて、そのことは、この感想を書く上でポイントと思われましたので紹介します。



 それは、スタンダールの「パルムの僧院」の次の一節から。

「自己に対するなんという無礼だ」と彼は言っていた。

「その決心をしたときより今の自分のほうが利口だと、どうして思うのか」

 こういう言葉は小説の中からとび出して、われわれの人生にじかに突き刺さる。一度読

むとそれはマクシムとなって、なにかの折にわれわれの行動を決定するように作用する。

・・・・強い影響力を持つ言葉だ。われわれの人生をみちびくのは結局、こういう二つか

三つの言葉であって、けっして大仰な理論や哲学ではないように思われる。



 正直なところぼく自身、「いかに生きるべきか」と肩肘張って生きていた青春の頃、氏

同様、心の奥深く突き刺さった言葉でした。爾来、選択を迫られる場面や別れの局面にお

いて、ぼくにとっては自己判断のバイブルとなった言葉でした。結果の善し悪しは別とし

て、結果を自分にどう納得させるかということに使っているように思います。敢えてこの

話を持ち出したのは、本書の中にそういう突き刺さる言葉や話が鏤められているからです。

そういう点では、ある意味「別れの美学」は、松本侑子氏の代表作ではないかと考えてい

ます。本書がベストセラーとなる所以もそういう効能によるところ大ではないかと。



 さて、本書ですが、何と言ってもその特徴は豊富な、しかもまことに意を得た事例の引

用にあると思います。これだけ多岐なジャンルから多面的に恋が語れるとは、その博学さ、

研究心にはまず脱帽です。

 3章に「未練について」と題し、深く語られているところがあります。著者自身、惹か

れてむさぼるように読んだという本からの引用ですが、実著書を読む以上にこの「未練」

に纏わる分析は面白いというか鋭いですね。誰しも、この分析のどこかに強く思い当たる

節があるからです。この未練に関するくだりだけでも読むと、随分人間そのものの美醜が

的確に見えてきます。この章、自分の恋、人生の棚卸しでもするような気持ちで読ませて

もらいました。未練のプロセス納得です。

 以前何かの著書で、映画監督大島渚氏が、映画「愛のコリーダ」の試写会を終えて出て

きた、一人の婦人が漏らした感想を感慨深げに伝えておられました。その婦人は、こう言

ったそうです。人間は性なくして生きられないが、性のみでも生きられない、と。バラン

スの問題なのでしょうが、凡そ激しく恋をすればするほどそうはいかず、両極どちらかに

どんどん偏っていきます。失ってから、元に戻るには強いパワーを必要とします。未練と

いうやっかいな心の確執が、人間がそこへ立ち戻ろうとするとき、いかに断ちがたい大き

な壁となってしまうかです。

 この章の最後で著者自身素直に述懐しておられますが、こういう読者とともにあろうと

する著者の姿勢は、人間らしくて好感持てますね。長くなりますが、これも気に入った箇

所ですので引用させてもらいます。



 未練が消えるとは、恋人を忘れ去ることでも、悲しみの感情を捨てることでもなく、ど

こかで顔を合わせたとき、穏やかな気持ちで、普通にあいさつができ、じゃあまた、と別

れた後に、淡い懐かしさが余韻として漂うような状態であると、著者は言う。

 なるほど、と思う。

 しかし、言うは易し、行うは難し。

 一人で過去の恋人を思い出すときは、甘くほろ苦い感傷にひたれるが、どこかでふいに

顔をあわせたとき、淡い懐かしさだけで、あいさつができるだろうか・・・・。

 こり固まったわだかまりや自意識から素直になれなくて、変にそっけなくしたり、虚勢

をはったりするのではないか。

 優しい気持ちで微笑みたいと、頭では考えているが、実際にそうなったら、どうなるの

か、少し自信が持てない。



 8章の「愛の幻想、別れの現実」も、事例の特異性と著者独自の解説で興味深いところ

です。恋愛が大いなる誤解の上に、真実として成り立つという矛盾を孕むものだとすれば、

この章の事例もある意味、普遍的な話なのかもしれません。

 著者が舞台『M・バタフライ』を観ての衝撃と思いが語られていますが、これも印象深

い話と分析です。

 フランスの外交官が北京に駐在し、そこで中国の京劇女優と出会い、激しい恋に陥ると

いう実話にもとづく劇ですが、なんと、男は、恋の終わるまでの20年もの間、相手の女

優が実は男であったのを知らなかった言う、まったく信じられないような事実が明るみに

出ます。詳しくは、本書を読んでみてもらいたいと思いますが、男と女の精神的比重の大

きい繋がりが生む幻想がこれまた見事に分析してあります。

 またこの話にちなみ、パリに住む知人の日本人男性のことに触れてありますが、この話

も同様印象深いですね。彼はある女性に恋し、何年も愛し続けたが、報われず大きな痛手

を受ける。この苦しみから解放されるために彼は、自分が彼女になりきることを考え、実

際にそれができたという。そうすると、逆にうっとりするほど幸福になれたという。これ

も、一見信じられないような話ですが、凡そ恋愛なればこそ、信じられないことを引き起

こす、男と女のブラックボックスなのかもしれません。そこには、当事者でないと知り得

ないものが、深部に働くのかもしれません。

 ぼくもある女性に恋をしたとき、はじめて出会ったとき、直観的に相手のすべてがわか

ったという、理由もなく、殆ど確信に近いものを頭ではなく芯に感じました。その実体は、

何なのだろうと随分長いこと考えあぐねていましたが、今この話を読んで思うに、それこ

そ、取りも直さずぼく自身が彼女に成り切ったと思える瞬間ではなかったかと思うのです。

 この章の締めくくりも著者らしい見事な逆説に富んでいますので紹介しておきます。



 と同時に、視線がすれ違ったままの二人の写真を見ていると、今、恋愛関係にある男女

の多くが、二人と同じように、たがいが別々の幻想をいだきながら肉の愛を重ねているよ

うな気がした。それは空恐ろしいことだが、いかにも当たり前のようにも思え、複雑な感

慨にとらわれたのだった。



 9章に「マリリン・モンローの三度の離婚」の話がありますが、実はこれが女性そのも

のを知るということではとても参考になります。誰からもこういう実態、背景、裏話を耳

にしたことがないのです。この章を読むと、モンローを通して女性そのものの本質が、極

彩色にかつ表象的に浮かび上がってきます。これは、男性諸氏一読の価値があります。内

容には触れずにおこうと思います。著者には、そのモンローを扱った小説『偽りのマリリ

ン・モンロー』があります。次回は、これの感想を述べてみたい気がしています。