『紅 梅』のご紹介

 ―松本侑子作・『小説宝石』(光文社刊)新年特大号掲載――

                                    瀬本明羅

 光文社と言えば、我々の世代はあの「カッパブックス」をすぐ思い出す。出版された本 は、すべてがベストセラーとなった。『頭の体操』(多胡輝)などは夢中になって読んだ。 今は雑誌、特に『女性自身』などの女性雑誌に結び付けて私は考える。そんな中でも、こ の『小説宝石』は、文芸誌として特異な位置を占めている。何が特異なのか。それは女性 向けに編集されている点にあると考えている。だから、いわゆる文芸誌としての硬さがあ まりないので、馴染みやすい。  さて、この新年号である。「初春に華やぐ女性作家、読みきり10編」。こういう特集 のタイトルのもと、次の作家が名を連ねている。  島本理生   宇江佐真理  大道珠貴  松本侑子   豊島ミホ  有吉玉青  筒井ともみ  風野潮    藤野千夜  澤田ふじ子  さまざまな作風に触れて、文字通り「初春に華やぐ」雰囲気に私は酔い心地になった。 しかし、めでたい話は少なく、自らの来し方にダブらせて読み進め、生きることの厳しさ 寂しさを改めて考えさせられた。  松本侑子さんの「紅梅」は、離婚歴のある44歳の女性「実咲」の仕事と私生活の両面 での苦悩の物語である。「実咲」の仕事は雑誌の編集者である。もとは、ある老舗出版社 に勤務していたが、業務縮小、雑誌販売の不振ということが災いして退社する。そこへ他 の出版社に勤務している大学時代の先輩「滝田」という女性の声掛けがあり、そこの契約 社員となる。「滝田」は「セレブな誌面で有名な婦人誌」の編集長だった。しかし、情け をかけられた「実咲」に対する「滝田」の評価も厳しかった。「昔からまじめで几帳面だ けど、今ひとつ存在感がないというか、人が驚くようなアイディアが出てこない」。これ は、ある日ふと「実咲」にもらした人物評だった。  しかし、「実咲」の家に年下の男が出入りしていることは、社内の誰として知るものは いなかった。その男は「英二」と言い、カメラマンをしている。「子どもができなくて離 婚して独り者だ」と言う言葉を額面どおり受け取り、付き合っているうちに次第に離れら れない仲になってしまっていた。ときたまふらりとやって来て、夜が明けないうちに帰っ ていく。「実咲」が作った食事を、美味い、美味い、と言って誉めて食べてくれると、女 心をくすぐられ、心を許してしまっていたのである。二人にはいずれ本当に結ばれるとい う見通しもない。ただずるずると深みに落ち込んでいくだけだった。  そんなある日、編集部のバイトをしていた「絵美」という若い女性が寿退社する祝いの 会に「実咲」は出席した。40過ぎても結婚できない「実咲」、それに対して、「できち ゃった婚」でうきうきとした感じで退社する若い「絵美」。その席で、仕事の出来る「絵 美」は普段と同じように「実咲」を軽くあしらうし、「実咲」は結婚に対するコンプレッ クスを抱いていて、素直になれなかった。当然のこととして皮肉な言葉の応酬が始まった。 その場が気まずくなった。その雰囲気を察知した「滝田」と他の同僚が、この場はお開き にして、場所を移そうと言い出した。そして、用意された紅梅をあしらった花束を「絵美」 に贈り、一行はその会場から出ていく。「実咲」は、その紅梅の枝の蕾が床にこぼれ、そ れを誰かが気づかずに踏み潰していく様子が目に焼きついた。  会がすべて終わり、仲間と別れて、歩き出した「実咲」は露店の花屋で、少し傷んだバ ラの花束を買い求めた。寂しくなった「実咲」は「英二」に電話するけれど、相手の電源 がオフになっていて通じなかった。ぼんやり歩いていた「実咲」は、不意に心ならずもあ る男の通行人の足を踏みつけてしまう。激しくどなれて、「実咲」は今までの悔しさ、寂 しさも手伝って、おろおろと涙を流してしまう。すると、その男は急にひるんで引き下が ってしまった。  涙。そうだ、女の涙……。「実咲」は初めて女の涙の力に気がついた。「英二」に、出 来た子どもをおろしてくれと頼まれたときも、苦しさを我慢していた。前の会社の上役か ら肩たたきされたときも、我慢していた。中絶して空っぽになったお腹の痛さもひたすら 我慢していた。もし……。もし、「英二」にこの涙を見せて、子どもを産ませてと頼んで いたら……。もし、会社の人にとりすがって、やめさせないで、と泣いていたら……。  「実咲」は、そう思いながら、花束を抱えてマンションに着く。そして、外廊下を歩いて いると、夜空に小型飛行機の赤い灯が見えた。すると、「小さな光を発して夜空を横切っ ていく暗い機体にむけて、実咲は高々と花束をかかげた」。暗い夜空の中で、レーダーの 電波と星を頼りに、かすかな光をはなちながら飛んでいく機体に、自分の姿を確かに見た ような気がしたのである。……以上が私なりのあらすじのまとめである。 私は、作品を、特に小説を、自らの境遇に引きつけて読む傾向がある。だから、いい読み 手とは言えないかも知れない。予めそう断っておいて、以上のあらすじに僅かばかりの感 想めいた事柄を付け加えたい。  舞台設定が出版界ということを除くと、この作品にはどこにでも居そうな人物ばかりが 登場する。それがこの作品への読者の抵抗を和らげていると思う。最近は、殊更奇をてら う作品が多い。こんなことまで書いていいの、と思わせるものもある。そこへいくと、こ の作品は落ち着いて読める。一読すると、婚期を逸したある女性(「実咲」)の惨めな気 持ちが、ある種の居直りともとれる心理に転換する過程を描いているような感じに受け取 られる。そう読めば、それなりに面白い。しかし、私は一歩進めて、この作品の中の女性 も男性も、自身の分身だと思って読んだのである。  バイト生の「絵美」。旨く周囲の流れを読んで、仕事もてきぱきとこなし、結婚相手も すばやくつかんで、うきうきと退社していく。人生の先輩である「実咲」にも、臆するこ となく皮肉な言葉を浴びせる。私には、やや欠けている性格の部面であるが、潜在的には、 こういうあっけらかんとした性格に憧れているのである。この女性に、贈られたのが匂い 立つ「紅梅」である。これには、多分に皮肉る気持ちがこめられていると思われる。  人生を不器用に生きていく「実咲」。結婚した「幸夫」は、エリートの道を進んでいた。 ところが、結婚してからも引き続き風俗店に通っている事実を「実咲」は知り、急に嫌気 がさして離婚する。しかし、両親は、そんなことで別れるなんて……、などという態度を とる。そして、夫と別れてから、仕事を通して、カメラマンの「英二」と出会う。「実咲」 は、きびきびと仕事をこなす姿勢、きりっとした風貌に惹かれる。「英二」も離婚歴があ った。「実咲」には、今は独身だという「英二」の言葉を額面どおりに受け取る素直さが あった。しかし、「英二」は妻と別れたものの、まだ完全に縁が切れていなかった。むし ろ、よりを戻していた。そういうずるい男と知りながら、「実咲」は別れるのが怖くて、 関係を保とうとした。  私は、四十の坂を越えた主人公の「実咲」に、何かしら自分自身を見るような思いがし たのである。一人になるのが怖い。いや、寂しいと言った方がいいかもしれない。子ども が出来たとき、涙でも流して男を相手の女から奪い取るといったような激しい性格の保持 者ではないことも私に近しい。我慢すること。そして許すこと。「実咲」の生き方は、こ ういう古風な考えに束縛されていた。そして、「英二」というずるがしこい男をいつでも 受け容れていた。「男と女の情はぷつりと糸でも切るように断てないことを知っていた」 のである。作者の意図は、こういう男女のどうにもならない情の深さをありのままに描く 点にあったのか。それとも、「英二」や「幸夫」のような、表面上はしっかりしているよ うに見えるが、裏面でだらしない生き方をしている男性に翻弄される女性の哀れさを描く 点にあったのか。……私は、この二者を一つに絞ることはできなかった。 「バラ」……。最後の場面で、「売れ残りの」やや萎れかげんの「バラ」の花束を買い求 める「実咲」の姿に、私は哀れさを感じた。そのときの「実咲」には、こういう花が似合 いすぎるからである。古風な性格の「実咲」には、「紅梅」が本当は似合っていたのであ るが、その花には縁のないところにまで追い詰められていた。 「拍手に包まれて受け取った絵美がお辞儀をすると、紅梅のつぼみがいくつか床にこぼれ た。耳まで染まった平子が、出ていく時、ぴかぴかに磨かれた黒い革靴で踏みつぶした。 彼は気づかなかっただろう。けれど実咲の目の底には、濃紅の花びらから細いしべをはみ 出してつぶれたつぼみが、しばらく残った」  寿退社する「絵美」が手にした「紅梅」の花束からつぼみが落ちて、それが無残にも踏 み潰される。その仔細を「実咲」は、しかと見ていた。  この象徴的な場面から、「絵美」のこれからの生活を読み取るのことは、乱暴だろうか。 いや、もしかして、「実咲」は、潰れた花のつぼみに自分の姿を見たのか。どちらにして も、私は、この場面が大変印象に残っている。  そして、最後の場面は感動的だった。マンションの外廊下から小型飛行機の灯りを見つ け、「実咲」は、「高々と花束をかかげた」のである。  この晴ればれとしたラストシーンは、「実咲」という女性が、過去の一切の懊悩を身に 深く受け容れ、そのことを踏み台にして、手探りで、しかも、自らを見失うことなく、こ れから一人で生きていく姿を描いていると私は解釈した。忘れてならないのは、その前に、 女性の武器となる「涙」を流す場面である。「涙」は、時として、人間に大きな力を湧き 立たせる。 「実咲」の年齢をはるかに超えてしまった私は、この作品を通して、老いの一つの姿をか つての自分と重ね合わせて、しかと見ることができた。と同時に、それぞれの世代でそれ ぞれの老いを意識し、それと向き合うことが生きることの一つのテーマだと、改めて強く 認識した。花束を高く掲げて、「実咲」のように己を支え、私もこれから生きていかねば ならない。