敗れし者たちへの挽歌……ケルト族と出雲族へ
                                    松本侑子

◆『赤毛のアン』とケルト族スコットランド    私は『赤毛のアン』(1908年)シリーズの訳注つき新完訳を手がけている。  日本でアンシリーズは老若男女をとわず幅広い読者に愛されてきたが、長い間、全文訳 がなかったために、意外と物語の真実が知られていない。  たとえば、主人公の孤児アンがひきとられていくプリンスエドワード島州の農家グリー ン・ゲイブルズは、スコットランドからカナダへ渡ってきた移民の二世であり、彼らの暮 らしには、スコットランド伝来の料理、古い詩、草花、スコットランド語が登場すること は、ほとんど知られていない。また作中には、スコットランドやアイルランド、ウェール ズに伝承や民話として古くから伝わる数々の妖精(ケルピー、ゴブリン、エルフなど)も 登場している。  一見すると、『アン』は、新大陸カナダの清新な作風に思われがちだが、文学的に見る と、その背後には、ケルト的な雰囲気が濃密に漂っているのだ。  それもそのはず、物語の作者L・M・モンゴメリ(1874〜1942)がスコットランド系の カナダ人であり、一族の祖国スコットランドに並々ならぬ深い愛情を、生涯、持ち続けて いた。  たとえば結婚相手には、自分と同じスコットランド系カナダ人を選び、1911年に結婚す ると、客船ではるばる大西洋をわたり、二人の祖国スコットランドへ新婚旅行に出かけた。 その夫がまた、スコットランドで主に広まっているプロテスタントの一派・長老派教会の 牧師であった。  新婚旅行先でモンゴメリが訪れたのは、スコットランドを代表する国民的作家でありス コットランド紙幣に肖像画が印刷されているサー・ウォルター・スコット(1771〜1832) の豪華な屋敷、彼が歴史を題材にして書いた作品の舞台、そして今でも世界的に愛されて いるスコットランドの農民詩人ロバート・バーンズ(1759〜96)が暮らした村と小さな家、 聖カスバートゆかりの北海に浮かぶホーリー島などであった。いずれも『赤毛のアン』に 関連のある土地である。  さて、スコットランドといえば、南に国境を接するイングランドに征服され支配されて きた負の歴史を秘めている。祖国愛に燃えるモンゴメリは、『赤毛のアン』で、アンに数 々のスコットランド文学の傑作を語らせているが、それはケルト族スコットランドの悲劇 的な敗北の史実を詠った作品ばかりである。  一例をあげると、1513年にスコットランドがイングランドに大敗し、無数の勇士と国王 までが戦死した歴史的な古戦場フロッデンを描いた長編物語詩『マーミオン』(1808年、 スコット作。邦訳は佐藤猛郎訳、成美堂刊、1995年)。あるいは、ケルト人の住んでいた 古代ブリテン島に、ヨーロッパ大陸からゲルマン民族が侵入してきたときに迎え撃ち、勇 敢に戦って破れた武将「アーサー王伝説」にまつわる詩「円卓の騎士ランスロットと美姫 エレーン」(1859年、テニスン作の長編詩『国王牧歌』の一部。邦訳は清水阿や訳、ドル フィン・プレス刊、1999年)を、作中で、たびたびアンに暗誦させているのだ。  そもそも主人公のアン自体、生まれはカナダ南東部のノヴァ・スコシア州という設定で ある。ノヴァ・スコシアとは「新生スコットランド」という意味のラテン語で、元来スコ ットランド人が主に開拓した土地であり、アンもまたスコットランド系であることが示唆 されている。また彼女はケルト的な妖精や木々の精霊を信じる少女として描かれている。  こうしたわけで、1991年から続けているアン・シリーズの全文訳と研究を通して、私は スコットランド文学と太古のケルト文化に強い関心を持つようになり、欧州各地を旅する ようになった。  文学については、何度も渡英して、アーサー王伝説にゆかりの土地を歩き、また『赤毛 のアン』に登場するスコットランド文学の舞台をたずねて、ハイランドの荒野に残る古城 の廃墟や天下分け目の古戦場フロッデン、ハイランドの義賊ロブ・ロイの墓などを車でま わった。もちろん文豪スコットの邸宅と墓地、詩人バーンズの生家と亡くなった家、墓も 訪れた。  ケルト文化について言えば、ヨーロッパ全土にのこるケルトの名残りをもとめてイギリ スのみならず、フランス西部の遺跡、ドイツを旅し、優れた彫金の武具や装身具といった 古代ケルト美術をあつめた博物館へ行くようになった。 ◆ケルト族の歴史的評価の変遷  ケルトとは、どんな人々であったのか……。彼らはヨーロッパの先住民族である。古代 ローマ帝国が支配するまで、紀元前の欧州はケルト族が暮らす土地だった。  彼らは自然界のすべてに無数の神が宿っていると考えていた。つまりキリスト教のよう な一神教ではなく、八百万(やおよろず)の神々、木々の精霊、水や火の神をあがめてい たのである。また霊魂は永遠に不滅であり、生きとし生けるものはすべて死んでも生まれ 変わると輪廻転生を信じていた。近代西洋的な生死観というよりも、東洋的なそれと似て いるのが興味深い。  太古の時代、今のイギリスにあたるブリテン島もまた、ブルトン人と呼ばれるケルト族 が住んでいた。英語で「英国」を意味する「ブリテン」とか「ブリティッシュ」という言 葉は、ブルトン人が住んでいたことにちなんでいる。  このころローマ人はラテン語という書き言葉をもっていたが、ケルト人は文字を持たな かった。そのためケルト族は、過去の英雄たちの物語も、一族の歴史もすべて語り言葉に よって豊かに伝えていた。  しかし紀元前1世紀ごろ、ローマ帝国ジュリアス・シーザーの軍によって、ブリテン島 のケルト人は支配され、ローマ化されていく。さらに5世紀ごろには、ゲルマン人が西方 大移動によってブリテン島へおしよせ、ケルトは西へ西へと追いやられてしまった。ちな みにブリテン島へ上陸したゲルマン人と戦ったとされるのが、いまだに実在したか伝説に すぎないのか議論が続くケルトの英雄アーサー王である。  今ではケルト系の住民は、欧州の西の端、つまりアイルランド、ウェールズ、スコット ランド、フランス西部のブルターニュ地方に暮らし、かつてのケルトの威光は燻し銀のよ うにちらちらと輝くのみである。  先にも書いたようにケルトは文字を持たず、みずからは歴史を記さなかった。彼らが遺 し、地中に埋もれた品々だけが、遠い昔を沈黙のうちに語るのみである。そのため、長ら くケルトの実態は不明であり、軽視されてきた。つまりヨーロッパ文明は、古代ギリシア と古代ローマが発祥の地であるとされてきたのだ。南欧地中海は、ギリシア語とラテン語 の書物が残り、また壮麗なる大理石の遺跡や美しい彫刻も伝わっている。これにくらべて、 古代ケルトの武器や装身具は、どこか野蛮で土俗的、文様は複雑怪奇であり、魑魅魍魎と して呪詛的でさえある。古典主義的な美意識からすると、明るく明朗なギリシア、ローマ のほうが優れていたと思われても、仕方がない。  しかし19世紀のなかば以降、考古学と発掘技術の進展により、ケルト人たちの遺跡がく わしく調査され、多数の出土品が発見されるようになった。20世紀にはさらに研究が進み、 その結果、長いあいだ冷遇されてきたケルトこそが、実は、欧州文明の基層をなしていた ことが明らかになったのだ。今では、ヨーロッパ文明の歴史そのものが、大きく塗りかえ られている。  この風潮とともに、アイルランドの歌手エンヤの音楽やケルト美術など、霊的で豊かな 精神性をたたえた文化は、現地のヨーロッパはもちろんのこと、アメリカ、日本など地球 規模で見直されている。  こうしたケルトの評価の劇的な変遷を思いながら、フランスの西の外れブルターニュ地 方にある巨石の遺跡をたずねたり、アイルランドに近い小島で、十字と円をくみあわせた ケルト的な十字架の立つ寂しい海岸を歩いていると、遠く離れたふるさと出雲が思われて ならないのである。  古代における敗北、さらに千数百年をこえる歳月、地中に眠りつづけ真価を知られなか ったいにしえの出土品、そして近年、一躍脚光をあびて歴史の表舞台におどりでたいきさ つを思うと、ケルト族と出雲族には通じあう奇縁をおぼえるからだ。 ◆古代出雲の再評価  出雲は神話の国である。「古事記」「日本書紀」の三分の一程度は山陰が舞台であり、 スサノオノミコトのヤマタノオロチ退治、国譲り神話は、出雲を舞台にした神々の壮大な 物語である。もっとも、国譲りは、出雲国の主神である大国主神が国を譲りわたして隠れ たという敗北の物語である。  いずれにしても、こうした第一級の歴史的文献があるにもかかわらず、出雲は、長らく 不可解な土地であった。九州と関西の邪馬台国論争のはざまにあって、冷遇されてきたと 言ってもいいかもしれない。  いわく、記紀の記述は創作であり、出雲地方に大きな勢力はなかった、古代の権力は九 州または畿内にのみあった、と理解され、軽視されてきたのだ。  出雲での出土品の乏しさも、一因だった。記紀に出雲の神々と神話がふんだんに出てき ても、実際に考古学的な出土品や遺跡がなければ、史実につながる信憑性は少ないと言わ れても、致し方ない。  2000年前の日本列島も、ケルトと同様、文字を知らず、当時の日本人も、出雲人も、何 も書き残していない。ただ土中から掘り返される品々や遺構だけが、私たちに過去を想わ せる。  ところが、その出土品だが、ここ20年、出雲では通説をくつがえす大発見が、相次いで いる。  神庭荒神谷遺跡では、国内で出土した銅剣の総数を超える358本がまとめて発掘された。 つづいて加茂岩倉遺跡では、国内最多の銅鐸39個が出土。ゆたかな青銅器文化があった可 能性が出てきたのだ。さらに出雲大社では、巨大な柱が発掘され、かつて神殿が48メート ルの日本一の高さだったという伝承が、真実味をおびてきた。48メートルという高さにつ いては、平安時代の文献に記録があるにもかかわらず、辺鄙な山陰の出雲に、世界最大級 の木造建築が存在したはずがないと思われてきたのだ。  しかし、こうした一連の大発見によって、日本古代史における出雲の位置づけは、飛躍 的に重みを増したのである。  これからも、土中からあらわれる青銅器などの金属類や遺跡が、さまざまな真実を、新 しい仮説を、大胆に語ることだろう。私は出雲出身ではあるが、偏狭な郷土愛からではな く、学問を真に愛する者として、古代出雲の解明を心から待ち望んでいる。
松本侑子(まつもとゆうこ)作家・翻訳家・日本ペンクラブ理事 島根県出雲市生まれ。『巨食症の明けない夜明け』(集英社文庫)ですばる文学賞受賞。 著書は、文学引用の訳注つき新完訳『赤毛のアン』(集英社文庫)、『アン』に引用され るイングランド文学、スコットランド文学、アメリカ文学を紹介する『赤毛のアンに隠さ れたシェイクスピア』(集英社)、生命の輪廻と環境問題をテーマにした長編小説『光と 祈りのメビウス』(筑摩書房)、エッセイ集『別れの美学』(幻冬舎文庫)など多数。 「松本侑子ホームページ」(http://homepage3.nifty.com/office-matsumoto/)を公開。 (本稿は、国土交通省の雑誌「みらい」に寄稿した随筆に大幅に加筆して三倍の長さにし たものです)

[補足参考写真]

本稿で著者松本侑子氏が言及しておられます、出雲地方で発見された遺跡について、編集

サイドで補足的に参考写真を掲載しました。いずれも、『座礁』編者村上馨の個人サイト

『いまだ見えざるきみへ』から転用したものです。本文理解の一助として下さい。

島根県簸川郡斐川町 神庭荒神谷遺跡で出土した358本の銅剣

島根県大原郡加茂町 加茂岩倉遺跡で出土した39個の銅鐸

島根県簸川郡大社町 出雲大社で発掘された神殿の巨大柱