麦 焼 舞
                                  内藤美智子

写真:村上馨「西郷港夕暮」
 隠岐空港からの連絡バスを西郷港の船着き場で降りた。  四月も下旬に入ったとはいえ、島の風は冷たかった。飛行機の窓越しに見下ろした日本 海は、点在する漁船や小島に、荒々しい白波をぶつけていた。しかし、目の前の湾内は、 両側から抱くように伸ばされた岬の腕の中で波音も立てずゆったりと安らいでいた。  素子は岸壁沿いにあるいてみることにした。  時間は充分あったし、軽い昼食がとれる店を探すつもりもあった。船着き場近くには数 軒食堂もあったが、つい入りそびれたまま足は外れの方へと向かった。  町に切れ込む細い入り江に架かった小さな橋を渡ったそのたもとに「風待(かざまち)」 と店名を染めぬいた、くたびれた藍染めののれんを見つけた。ガラスの引き戸を開けると、 頭上でチリンと鈴が鳴った。  店の内部はコンクリートの床に、デコラ張りの四角いテーブルが四つと、背もたれのな い丸椅子が幾つか並べてあるばかりだった。  窓際の椅子に腰掛けると、いまあるいてきた道も港も見通すことができた。  時折車が過ぎるほかには動くものが見当たらない。今日は特別の日ではないか、と素子 は不審だった。少なくとも自分はそうだった。数か月期待して、職場に無理をいって休み をもらって、やっと念願がかなってやってきたのだった。この日、町は見物や、にわかカ メラマンであふれているものと覚悟していたのに、そういえばホテルの予約も、女の独り 旅というのにすんなりと取れたのも不思議だった。  玄関の鈴の音でだれか出てくるはず、としばらく待ったが、その気配がない。 「ごめんください」  素子は奥に向かって呼び掛けてみた。 「おいでませ」  出てきたのは腰の曲がったどう見ても八十過ぎとみえる女だった。 「何がよござんすか」  素子はわずかばかりの品書きのなかから焼き飯をたのんだ。 「焼き飯ですかいのう」  女はいったん調理場の方にひっ込んだが、またすぐに顔をのぞかせ、 「あのう、さざえ飯でしたかいのう」  と素子を見た。 「え?はい、さざえ飯を」  女の顔には、いささかの悪びれた様子もなく、本当に注文の品を忘れたふうだったので、 素子もそれに合わせることにした。いわれてみれば焼き飯よりもそのほうが隠岐らしい気 もした。 「お待たせしました」  女はお盆にさざえ飯と香の物を添えて素子の前に置くと、柔らかに問い掛けてきた。 「独りで旅ですかえ」 「はい」 「どこから来なんした」 「松江です」 「松江から。……わざわざ西郷にですかえ」 「蓮華会舞を見せてもらおうとおもって。たしか今日でしたよね」  念を押すかたちになったのは、町の静かさが不安になったからだった。はるか平安の昔 から伝わると聞く、千年の舞が舞われる当日らしさが感じられなかった。 「きょうは……」  女は壁の美人画が描かれたカレンダーに目を向け、日にちを探すふうだった。 「四月二十一日のはずなんですけど」  素子もついあいまいに答えた。 「そげですかいのう。歳を取りまして、もう何月でも何日でも、どげでもよんなりました。 ……ちょっとよござんすか」  と断ると、女は素子の隣の椅子に腰を下ろした。 「風待、ってすてきな名前ですね」 「この店もむかしは、出港を待つ漁師たちが飲むわ騒ぐわ、そりゃ賑わったもんでござん した。私も若かったですけん、しげさ節なんぞ歌って……。奥さん、いまのうちおもしろ うに暮らしなしゃんせよ。この歳になぁますと、自分が生きちょるやら死んじょるやら、 ふっと分からんやになったりして、つまらんことでござんす」  男たちの濁声のなかに染み透るしげさ節が聞こえるような気がした。   忘れしゃんすな西郷の港   港のカモメが ぬしさん恋しと   鳴いている  たばこの煙りと酒の匂いに混じる、囃子言葉と手拍子のもの哀しさ。   シャシャリコ シャシャリコ   シャシャリコ シャンシャン 「ずっと西郷に?」  暖かく、磯臭さの漂うさざえ飯はおいしく、素子は初めての土地への気負いがほぐれて ゆくのを感じていた。 「わしですかえ?むかしむかし、本土のどこぞにおったこともござんした」 「結婚されて、それで隠岐に?」  それが普通のケースだろう、とおもった。  女が黙ったのでふと目を向けると、その顔は密かに笑っていた。目尻も目元も皺ばんで、 白髪は無造作に刈り上げられている。その姿のままで一瞬、半世紀ほどもの時間を巻き上 げたようだった。 「お客さん、お幾つにならっしゃるかえ?五十……?」 「五十三になります」 「まんだ男さんの匂いがしますのう」  ふとつぶやき、女はふいに話題を変えた。 「そうですか、四月二十一日でござんすか、池田の蓮華舞の日ですのう」 「ああ良かった。町があんまり静かだったので、お祭りの日を間違えてしまったのかと心 配していたんですけど」 「隠岐にはお祭りがたくさんありますけ。池田へ行かっしゃったらにぎやかでござんしょ う」  蓮華会舞は、午後一時過ぎから始められるはずだった。 食事が終わると素子は女に礼 を言い、店を出て港に戻り、タクシーを拾った。 「国分寺まで」と行き先を告げると、 「蓮華舞ですか、どちらからですか」  と運転手に開かれた。  もともとは蓮の花咲くころに奉納された法会で、正しくは「蓮華会舞」のはずだが、地 元のひとは「蓮華舞」と呼ぶらしかった。 「松江からです」 「松江から、わざわざおいでたですか?」 「去年松江の近くの町で、県内の伝統芸能を集めて紹介する催しがありましてね、そこで 初めて観て、一度本場で、と思って」 「蓮華舞もこのごろは知られてきたようで、去年はパリまで招ばれたそうですよ」  するとあの青年もパリへ行ったのだろうか。 「『麦焼舞』(むぎやきまい)も?」  おもわず聞いていた。半年前に舞台を観てから忘れられないままに、とうとうひとりで やって来てしまったのは、実はもう一度麦焼舞を観たかったからだった。 「行ったこともない隠岐まで、しかもひとりで、あんたも変わっとる」  二人暮らしで、出やすいとはいえ、さすがに夫がいぶかるのにも「蓮華会舞がもう一度 観たいから」の一点張りで押し通し、勤め先の店員ふたりきりの小さな土産物店から、予 定外の休みを二日もぎとるようにしてやって来てしまった。 「麦焼舞ですか、さあ……」  運転手の答えはそっけなかった。  あの夏の夜、島根県内の主だった祭りの幾つかが紹介されたなかに、隠岐郡西郷町池田 の隠岐国分寺に伝わる、千年の歴史を持つという蓮華会舞があった。  会場に笛とにょうはちの音が響いた瞬間、素子は息を詰めた。  いままで聞いたことのないメロディーとリズムに胸底をつかまれ、あまりにも遠くて、 言葉にも表情にも表せなくなってしまった感覚に、しきりに呼び掛けられるのを感じた。  舞台にはひとりの若者が緊張感を漂わせてすっくと立っていた。顔には皺を表す白線と ひげをつけた黒い面を着け、頬かむりをし、薄茶色の筒袖に同系色の袴、手甲に白足袋と いう出で立ち、手には白扇をもっている。  若者は一礼すると、単調でリズミカルなメロディーに乗って舞い始めた。  それが麦焼舞で、老人が畑にでかけ、麦の収穫をするさまを表現する舞だった。老人は 時折腰をたたいたり、肘をたたいたりする。白扇は鍬になったり唐箕になったりした。  若者の所作が素子を魅了したのは、楽の音と装束のせいもあったかもしれないが、何よ りも素子は、手甲に包まれた若々しい両の手から目がはなせなくなっていた。  斜め前方に差し出された手は、肩から真っ直ぐに、初夏の若葉のようにつよく、しなや かに、天に向かって差し延べられていた。遠い舞台の上の、見えないはずの指が、はっき りと見えた。手甲の下からのぞく指はやわらかな光を帯びて、天に突き出されたかと思う と、地で翻った。  その指先から三十数年の歳月が逆流し、慧(けい)が突然現れて、十八歳のままの、黒 くよく光る眼で素子に笑いかけてきた。  慧は河原でギターを弾いていた。いつまで経ってもうまくならない「禁じられた遊び」 のメロディーを、山かげからあらわれてまた山かげへとくねってゆく川の流れに、たどた どしく細切れにこぼしていた。  川は下流で斐伊川と合流し、宍道湖に注ぎ、やがて日本海へと旅してゆく。私たちとお んなじだ、といつも素子は思っていた。  慧は高校のあるこの町に住んでいるけれど、どこかの大学に入り、まもなくここを出て 行くだろう。さらに三十キロ山奥の、分水嶺の村が素子の故郷になるけれど、いま寮生活 をしている素子が、再来年の春に再び村に帰るとは考えられなかった。  私たち、これからどうなるんかなあ、と慧の胸に額をつけて、素子がつぶやくと、わか らん、と慧の答えはきまっていた。それでも慧にすがって、長く伸ばした髪をなでる慧の 指を感じていると、ひとときは安らぐことができるのだった。  川土手一面を覆った丈高い大待宵草は夕暮れ時を迎えて、ひそかにざわめきながら花を 開き始めていた。素子はその陰に隠れて慧をみつめていた。  河原の石に腰掛け、うつむいて、ナルシソ・イエペスの名曲と格闘している慧の横顔に は笑いを誘われたが、弦をはじく長く青白い指はほんのりと赤みを滲ませて、素子はいつ も目を逸らせなくなってしまうのだった。 「そこで何しとる」  ギターの音がやんで、慧が振り向いた。 「へたっぴいのギター、がまんしとる」 「へたっぴいとはなんだ、ヤマザル」 「ヤマザルじゃないもん」 「山奥から出てきたへんなヤマザル」  いいながら、慧が笑い出した。 「なんだ、その低くて黒い鼻に付けとる黄色いものは」  慌ててこするど、白いブラウスの袖が黄色い粉で染まった。 「大待宵草の花粉。さっき花が咲くとこをじっと見とったけん」 「ひまだなあ」 「ねえ、知っとる?大待宵草が咲くときおもしろいよ。つぼみがふくらんできて、ゆっく りとほどけてゆくんよ、それから、こらえきれんように、ぼっ、と口を開くんだ」 「ふうん」  気のない返事をする慧に、口を開く瞬間に花が吹き出した濃密な匂いのことは言わなか った。そのとき、躯が熱くなり、いままでになくつよく慧のことを好きだとおもったこと も。  夕闇が濃くなると、慧は素子を抱き締めた。  土手はふたりの揺監だった。その下の道や田圃からは一段高くなっていて、川の側にい ればだれにも見つからなかったし、雨や雪の日には、本橋の下の橋脚の横木に腰掛けた。  そこでふたりは抱きあい、唇をあわせ、しかしそれ以上をお互いが求めることはないま まに、慧が卒業して東京の私大に進学し、素子も一年後には松江に出て、小さな印刷所の 事務員になった。  慧と別れて三年が過ぎ、仕事にも、町での一人暮らしにも慣れ、慧のことを思い出すこ ともまれになったある日、素子は町で、看護婦をしている同級生の優子に出会った。  優子も慧や素子と同じ合唱部に所属していたから、ふたりのことは感づかれていたはず だった。 「ねえ、知ってる?小坂慧先輩のこと」 「なんにも」 「うちの病院に入院中なんだわ」 「足でも折ったん?」 「それがねえ」  優子は言いよどみ、 「あんまりよくないみたい」  と声をひそめた。 「よくないって、それどういうこと」 「素ちゃんだけん話すけど、内臓の病気でねえ、あと一か月も残ってないかも」  これは秘密、と念を押して優子は去っていった。  大待宵草の花の匂いのなかの、慧の胸の鼓動が聞こえてきた。その鼓動が絶えようとし ているのか。素子は空を見上げた。  山を越えれば慧の故郷があり、その奥に素子の村がある。どっと押し寄せる「ヤマザル」 とからかう笑いを含んだ慧の声や、熱い唇の感触の記憶に、素子はうろたえ、しばらく呆 然と立ち尽くしていた。  素子が働いている印刷所から、優子が勤務する病院までは歩いて十分もかからない。慧 を見舞ったほうがいいのだろうか。三年の月日は自分も変えたが、慧はもっと変わったは ずだ。なにを話していいか分からなかったし、迷惑そうにされるのが怖くもあった。  迷いながら日が過ぎていった。「あと一か月もないかもしれない」という優子の言葉が 何度も耳元に響いて、素子をいたたまれなくするが、病院に足をむける決心はなかなかつ かなかった。  そんなある日、用事で工場に入った素子はふとラジオの音に気を引かれた。工場では、 いつもラジオが付けっ放しになっていた。  印刷機の金属音や、畳ほどもある用紙を百枚も重ねて、一度にくるいなくばさりと揃え る名人技の、規則正しい音の繰り返しのなかでは聞き取りにくいが、製本の仕事場では、 放送がかえって仕事の能率を上げる役目を果たしているのだった。  素子が入ったとき、地元の局から音楽のリクエスト番組が放送されていて、ちょうどア ナウンサーが、それが入院中の友人にプレゼントするために、リクエストされた曲である ことを紹介しているところだった。 「〇○病院に入院中のA子さん、一日も早くよくなられますように」  素子はこれならば自分にもできそうな気がした。その夜早速リクエストの葉書を書いた。  慧はラジオを聞くだろうか。それよりも素子は自分が慧のことをどう思っているのか分 からなくなっていた。好きとか忘れられないという感覚ではなかった。たしかに慧が町か らいなくなり、二、三度の手紙のあと連絡が途絶えた当初は寂しく、もう一生抱き締めて くれるひととは出会えないのではないかなどと、途方に暮れるような気持ちに襲われたこ ともあったけれど、三年が過ぎたいまは、もうじきやってくる、ときめきのときを、息を ひそめて待っているような、期待感のほうがつよくなっていたのだった。  文選工の和也に誘われて、彼のスクーターの後ろに乗り、宍道湖畔の有料道路を百キロ で飛ばした日、和也の背中にしがみついて、素子は久し振りに大声で笑っていた。和也に 比べて、慧の鉢はなんて繊細だったんだろうと、一瞬よぎった感慨のようなものは、スク ーターが切り裂く風とともに、瞬く間に消えてしまっていた。  和也とは貸しボートで宍道湖の嫁が島に渡る約束もしていた。  いまはただ慧のかすかな汗の匂いや、柔らかく熱かった唇、頭をなでてくれた指先が、 この世から消えてしまおうとしていることに戸惑っていた。それは時として現実感を伴わ ぬ物語のようにも感じられ、また時には、十七歳の自分の興奮を知っている人間が、この 世から消え去ることへの、安堵のようなものがかすめることさえあって、罪悪感に苦しん だりした。  ラジオ局への葉書を投函したものの、慧が聴いてくれなかったら、ただの自己満足に終 わる行為だと気付いた。その後の慧のようすも知りたかった。間借り生活の素子は電話を 持たなかったから、公衆電話を使って病院の優子を呼び出し、その日仕事帰りに会ってく れるように頼んだ。 「小坂先輩のことが心配なん?」 「ごめん。あれから落ち着けんで……」  宍道湖の畔にネオン塔があり、その下がレストランになっていた。窓辺の席から見下ろ す湖面で赤や緑が鮮やかに揺れていた。  ふたりの前のテーブルにはその店で評判のカツライスがあった。  セン切りキャベツとトマトを下敷きにして揚げたてのカツが湯気をたて、ドロリとした ソースがかかっている。器用にフォークを扱う優子に素子は気後れを感じていた。 「この店によく来るん?」 「うん、素ちゃんも?」 「まだ二回ぐらい」  松江で一人暮らしを始めて二年、わずかな印刷所からの給料で、六畳ひと間の部屋代を 払い、残りを生活費にまわす。のびのびとお金を遣ったことはほとんどなかった。それで も曲がりなりにも自活するうれしさはひとしおで、貧しさを特に目覚したこともなかった。 山の村で農業と林業の人夫をして暮らす両親や中学生の弟は、こんな店に来たこともない。 いつか自分がきっと招待してこのカツライスを食べさせてやろう、と思いながら素子はカ ツを頬ばった。  そのときふいに慧のことがこれまでになく現実感を伴って追ってくるのを感じて、素子 はフォークを置いた。 「慧、どんなぐあい?」 「なんとか頑張ってるけど、急に容体が変わることもあるし、主治医の先生は時間の問題 だって」  私のこと、なにか言っていない?と聞いてみたかったが、もしそんなことがあれば優子 が話してくれるはずだと、思い直して口にはしなかった。  慧にどれほどの自覚があるのかは知らないが、彼にはもう、うまい食事も、恋も、用意 されていないのだ。まして女の子をスクーターの後ろに乗せて、百キロで飛ばすなど。  そしていまさら見舞いには行けない、とはっきりと悟った。  数日後、優子から呼び出された喫茶店で、慧の死を知らされた。 「朝だった。急に悪くなって。でも最後まで意識があってね……。当番だったナースから 聞いたんだけど『僕、もう死ぬんかね?死にたくないよ』って……」  素子は目を閉じてコーヒーの香りに身を浸した。慧が触れた素子を、ひととき慧に手向 けるために。いま生きている素子にできることはそれだけしかない気がした。  その後ラジオのリクエスト番組で、慧へのプレゼント曲が流れたかどうかは知らなかっ た。 「『禁じられた遊び』ヤマザルより」  慧が聞けば分かったかもしれないが、おそらくだれにも気づかれないままに、ギターの 名曲は流れ去ったのだろう。  二十三歳のとき、素子は和也と結婚した。  国分寺の前でタクシーを降りた。  参道の両脇にはぎっしりと幟が立ち並び、駄菓子や饅頭、おもちゃなどの露店も数件出 て、周辺は祭りの賑わいをみせていた。小学校も休みになっているらしく子ども達がはし ゃぎながら、行き来していた。  松江ではとうに散り果てた桜が、盛りは過ぎたものの、散りやらぬ残花を枝にとどめて いる。よく晴れてはいるが、花冷え、と感じた。島は本土より気温が低いようだった。  色とりどりのアメを売る店で、ジーンズの後ろボケットから。白足袋をのぞかせている、 中学生らしい二人連れの少年をみかけた素子は、つい声をかけていた。 「蓮華会舞のひと?」 「はい」  ふたりはいぶかしげに振り向いた。 「あのう、麦焼舞を舞われるひとは何歳ぐらいになられるか知らない?」  顔を見合わせ、ひとりが、「Sは……、小学校五年生だが?」  というのに、もうひとりが、 「うん」  と答えた。 「Sくんっていうの。麦焼舞を舞うのはそのひとだけ?」  そんなはずはない、と動揺していた。たしかに体付きはきゃしゃだったけれど、素子を はるばる離島にまで引っ張ってきた、あのしなやかでみずみずしい手は、あのころの自分 や慧とおなじ十七、八歳の若者のものであるはずだった。 「はい、ずっとSくん。パリにも行ったし」 「ありがとう。あなたたちはなにを舞うの?」 「ほかのふたりと、四人で『太平楽(たいへいらく)』を」 「観せてもらうわ。楽しみにしてる」 「はい」と元気のよい返事を返し、ふたりはアメの品定めにもどった。素子はぼんやりと その後ろ姿をながめていた。白い足袋がいつまでも目に残った。  境内に入るとそこは思いのほか狭く、中央に舞台が造られていて、ここにも「南無大師 遍照金剛」「天下太平」といった幟が五色の吹き流しとともに、風になびいていた。 「海上安全」と白地に黒く染め抜かれたものが、素子の目をひいた。下方に西郷町という 文字と、寄進者の名前も書かれている。船主さんでもあろうか。  そうだ、ここは海の町だった、と素子は再確認する思いだった。港を離れると、道はす ぐに山に入りその中を進んだから、海の気配を忘れ、離島の感覚さえ失いそうになってい たのだった。  時間があったので寺の後ろにまわってみると、元弘の変に破れた後醍醐天皇が隠岐に配 流されたときの行在所跡を示す、塔や石碑がそこここにあった。七百数十年も昔のその史 実については、ほかに島前の西ノ島町に残る黒木御所説があると聞く。さらに素子の目を 引いたのは、明治二年、廃仏の騒動で打ち砕かれた石仏の胴や頭部の無残な姿だった。  有名な隠岐騒動の顛末なども加えて、ごくわずかな素子の知識ではとうてい計り知れな い奥深いものを、隠岐は胎内におさめていることを痛感せざるを得ないのだった。そのひ とつとしての蓮華会舞なのだろう。  聖武天皇の勅命によって建立された国分寺の、栄枯盛衰の道程もまた想像を越えるもの がありそうだ。単純に、蓮華会舞の、しかも麦焼舞をもう一度観たいと、さらにいえばた だあの若者の美しい手をもう一度見たいと、それだけの理由でやって来てしまった自分は 軽率だったのだろうか。しかしいまとなっては、楽しんで帰るしかないだろうと、なにか 開き直った気分で素子は寺の境内にもどった。  始まりの時間が近いらしく、いつの間に集まったのか、舞台の周囲は人びとでいっぱい になっていた。地元の中学生も先生に引率されてやって来ていて、にぎやかなさんざめき が舞を待つ雰囲気を盛り上げていた。  素子も桜の木の下に場所をみつけ、立ったままで観賞することにした。風は冷たいが陽 射しはおもいのほかつよく、帽子を持って来なかったのを後悔するほどだった。  やがて本堂のほうがざわめき、天狗面を先頭にそれぞれの衣装を身に着けた舞人たちが 奏楽にのって姿を現した。行列のなかには、頭に色鮮かな烏かぶとをかぶり、袂の長い着 物に袴をはき、剣を差し、右肩に鉾をかついだ、先刻の少年たちもみえた。ほかのふたり を加えた四人の、くちびるに紅をさしたあでやかな出で立ちに、傍らの中学生の集団から 声援がとんだ。生徒たちが口々に彼等の名を呼ぶところをみると、同じ中学校の友達なの だろう。  その後ろに、か細い男の子がひとり、麦焼舞の装束で続いた。なるほど小学生に違いな い。素子は信じられない気持ちのまま、目の前を通り過ぎて行く、Sくんと呼ばれたその 少年をみつめているばかりだった。あの夜舞台の上で丈高く、しなやかに、軽々と舞って みせてくれた、そしてきれいな手で戻らぬ時間を手繰り寄せた魔術師は、ほんとうにこの 子だったのだろうか。  素子の戸惑いをよそに行列は進み、彼等は舞台にならんで設けられ、三方を紅白の幕で 囲われた板敷きの楽屋に入っていった。楽屋といっても観客席からは丸見えで、そこで楽 曲も演奏され、それぞれの舞のための準備もされるのだった。  中国や朝鮮、インドなどからもたらされた舞が、離島隠岐に伝えられ、千年の時を守ら れていま眼前にあった。盛んなときには、百数十の演目が七日七夜に渡って奉納され、た いへんな賑わいだったという。現在はわずか七番が生き延びて、毎年四月二十一日に舞わ れることになっている。  住職のお勤めに続いて、いよいよ舞が始まった。最初は「眠り仏」。幼い子どもが菩薩 の面をかぶって、こっくり、こっくり。現れた獅子にお尻をかまれ、あわてて飛び起きて 相撲をとる。しぐさの愛らしさに観客席から笑いと拍手が起きた。 「獅子舞」の次が件の四人による「太平楽」だった。中国渡来の唐楽のなかでも代表的な もの、との住職の解説が入る。一番ごとの住職の解説は、舞い手の名前まで紹介され、い かにも土着の芸能らしい親しみを添えつつ、千年の重みと品位を伝えていた。  四人は剣をきらめかせ、長い袖を春風にひるがえし、足音をそろえて、立派に舞いおわ った。まるでその子たちの知り合いででもあるかのように、ほっとしている自分がおかし かった。「この四人は地元の中学生と高校生で、今回が舞いおさめです」と住職が告げる と、大きな拍手がわいた。  ついに「麦焼舞」のときがきた。  舞い手のSくんは小学校五年生で、蓮華会舞の華である「竜王」を舞うお父さんにあこ がれて、自分から希望して練習を始めたという。  舞台に上がり、本堂に向かって一礼したとたん、ぐうん、とその身長が伸びたようにみ えた。笛とにょうはちの単調な楽は、まさに聞き覚えがあるもので、それに乗って、Sく ん紛する老爺はいかにも楽しそうに軽々と、舞台を数回巡った。麦は豊作で、取り入れの 作業は喜びに満ちている。この舞は隠岐にのみ残るめずらしいものだという。  Sくんが勢いよく指し示した先に、桜の花が揺れ、春の青空がひろがっていた。  素子が凝視するその手は、どう見ても十一歳の男の子のものだった。  一礼して舞台を下りたSくんは楽屋に戻り、面を外した。まだあどけなさの残る顔が、 視線を感じたらしくふとこちらを向いた。素子はすこしうろたえ、Sくんにだけ通じる小 さな拍手をおくると、彼は恥ずかしそうにうつむいてしまった。 「山神(さんじん)・貴徳(きとく)」は赤色と青色の武面を着けたおとなふたりで舞わ れた。鏡に写るようにそろえる妙技は、派手さはないがみごとだった。  次がSくんのお父さんの出番の「竜王」だった。隠岐の観光パンフレットの表紙を飾る ことも多く、素子もその赤黒く恐ろしげな面と、赤い錦の衣装をまとった姿には見覚えが あった。  S君のお父さんは背が高く、両手に銭太鼓を持った激しい所作で、武将の威圧感と、底 に潜むおかしみをうまく表現していた。  竜王が跳び、荒げた声で威嚇し、板を踏み鳴らすと、一陣の風が起こり、桜の落花が吹 雪のように散りかかった。  Sくんはその舞台を食い入るように見つめている。いつか彼も島の男に成長して「竜王」 になるのだろう。素子はその勇姿を見にこようとおもった。  しかし、島も過疎化が進み、若者は高校を卒業するとほとんどが本土へ渡ってゆくとい う。一度は島の外に出てみたいというあこがれもあるだろう。Sくんもその波に乗ってし まう日がくるかもしれない。そしてあの夏の夜の魔術を再び、とあがく素子は取り残され るのだ。  舞台は一変して「仏の舞」が演じられていた。  天平の昔をもしのばせる笛の音がゆるやかに境内を満たし、まなざしを遠くになげかけ る菩薩面のふたりが、扇を開き、また閉じ、向き合い、また背を向け、前の六曲のドラマ で波立つ舞台と観客の心を、ゆったりと鎮め、清めてゆく。  薄紫の衣装の下に白い肌着と空色の袴が透け、白足袋が舞台に散った桜の花びらを踏む。 風さえも落ちて、五色の吹き流しは静かに、ふたりの仏を見守っている。  素子をここまで引きずってきたものの正体は、焦燥と執着にすぎなかったのか。それな らばもうどうでもいい。いまこのひとときに全身を浸して、夢見心地のままでいよう。  桜の花は素子にも散りかかっている。  翌日の午後のフェリーで西郷港を発ち、七類港へ向かった。  素子は船室には入らず、デッキに上った。  簡単な屋根の下に椅子がならんで、進行方向とは逆を向いて座れるようになっていた。 前日とは打って変わって、空は曇り、雨が近いようにみえた。  ドラが鳴り、汽笛が響いて船は出港した。  湾に沿ってならぶ家々が遠ざかり、前夜泊まったホテルがかすみ、やがて海原の彼方は ひとつの山塊と化した。それすらも徐々に薄れ、隠岐島最高峰の六百八メートルの大満寺 山のみが泡立つ澪のはるかに墨絵となって立ち尽くしていたが、一時間ほどでその大満寺 山までもみえなくなってしまった。 「おいでませ」と迎えてくれた「風待」の女も、蓮華会舞の舞台もかき消えた水平線には、 白くぼんやりと空の縁取りが残るばかりだった。  カモメが一羽飛んできた。嘴を忙しく振り回しながら、キョロキョロと獲物を探してい る。  こんなふうに茫々の海に包まれて、どうしたら島の存在を信じることができるのだろう。 行く手に待つものを確信できるのだろう。なにもかもいつかかき消えてしまう。  フェリーの傍らでなにかが跳んだ。  イルカだった。五、六頭のイルカが船と併走し、次々に頭を上に真っ直ぐに跳び上がっ た。ぬれぬれとした黒い背中と白い腹部が、すぐ手の届きそうな近さにあった。だれかに 伝えたくて振り返ったが、デッキにはビールをのんでいる男達のグループが一組いるだけ だった。 「イルカです」  素子は黙っていられず、男達に声をかけた。  「イルカ?どこどこ」  ひとりが駆け寄ってきて海をのぞきこんだが、イルカはすでに水底深くもぐってしまっ たあとだった。 「いないじゃない」 「さっきまで、いたんです」 「海草でも見まちがえたんじゃないの」  男は仲間のところに戻り、 「間違い、間違い。そんなものいるはずがないよなあ」  と聞こえよがしに言った。  笑い声が波間を渡っていった。
 参考資料 『隠岐国分寺の蓮華会舞』 重要無形民族文化財指定記念誌