エッセイ『遺影』

村上 馨


 このところ、私と同年代の知人が病気で若くして奥さんを亡くしてその葬儀に参列する

ことが相次いだ。亡くなった奥さん方はみな五十歳前後である。葬儀の前にお悔やみに行

って、まず感じたのは、いずれの知人にとっても奥さんはさぞ大切な愛しい人であったの

だなあという思いである。それは、知人の立ち居振る舞い、返す言葉にも自然と滲み出て

いる。こりゃ立ち直ってまた平然と歩き出すには時間がかかるぞと、私が内々思い案じて

あげなければならないほど打ち拉がれている。

 棺の前で手を合わせ、線香を上げ、そして遺影を見つめる。そこでまた私は追い打ちを

受ける。こういうケースのように、若くして奥さんを亡くした場合、遺影がポートレート

風にそれもカラーになってきたのも最近の風潮を反映しているのかもしれない。飾らず、

普段のままの人柄が顕れている自分のお気に入りの写真を飾る。私が見上げた二人の奥さ

んの遺影も、それにたがわずそうした写真だった。いずれも、どこか、戸外に遊びに出か

けたときのものと思われるスナップ写真ではあるが、一人写しを意識して撮られたものだ。

バックにはうっすらと花畑が拡がっていて、その前で在りし日の奥さんは、こぼれんばか

りの笑みを夫足るカメラマンに向けている。その写真がまた私の胸を締め付ける。きっと

いたたまれないだろうなあとしみじみ思う。

 その明くる日の葬儀でのことだ。私は、身近な知人だったので、少し早めに斎場に赴き

受付の人たちと何やかやと世間話をしていた。そこへ、いくぶん腰もかがめながら一人の

老人がこれまた開式よりかなり早い時間にやってきた。聞けば、その昔、仕事の関係で私

の知人の近所に住んでいて、とても親しくしてもらっていたそうである。やがて転勤で、

この町を離れたが、そのあともずいぶん親しくしてもらったのだという。奥さんを亡くし

たと聞き、遠い町からオートバイを運転してきたのだと言う。どれくらい時間がかかるか

わからなかったので早く着いてしまったと言った。それを聞いて誰かが椅子を持ってきて

あげて老人は腰を下ろした。今年八十歳になるのだと言った。誰も一様に、お元気ですね

え、とその気骨に感心しながら言った。それからひとしきり、この老人が語ったことに、

私は妙に惹かれるのと同時に、そこに、この老人でしか言えない得難い教訓が含まれてい

ることに気がついた。老人は、こんな話をしみじみとしてくれた。

「私も早く家内を亡くしましてなあ。それからずいぶん長いことひっぱってますのや。そ

れは、この年になってもまだ続いてましてなあ」と、言って、背広の内ポケットから一枚

の写真を取りだして見せてくれた。それは写真が痛まないように、薄く小さな飾りフレー

ムに入れられた奥さんと思われる人の生前の写真だったのだが、私にはいささか奇異に映

った。わざわざ、知人の奥さんがこれまた若くして亡くなったと聞いて持ってきたのだろ

うかとも考えてみたが、そうではなさそうだった。老人はいつも肌身離さずこれを持ち歩

いていたのだと思えてきた。続けて老人はこう言ったのだった。

「遺影は、やっぱり白黒じゃなくちゃいけませんなあ。私は、家内が愛おしくて、ずっと

このカラー写真を持っとりましたが、なまなましくていけませんや。何かにつけてそれが

よみがえる」

 私は、何かがぐさりと突き刺さるのを覚えた。知人の遺影を前にして覚えた不安の正体

を突き付けられた気がしたのだ。『なまなましい』という言葉がこれ以上はない、人間の

底に潜むあるもの、あやしきものを伝えていると思えたのだ。それは老いても決して消え

ることはないのだ。この老人は真実を語っているのだ、と。

 私は、改めて考えてみる。色というものが色である所以を・・・・。たかが写真とあな

どってはいけないのだ。モノクロームの写真を白黒写真というのは正しくないのかもしれ

ない。色がすっぽり抜け落ちて、光の強弱と影のみで顕される画像。それが、われわれの

愛しいものへといざなうとき、そこに喚起されるものはどんなものなのか。なまなましさ

は褪せて薄れ、慈愛に満ちた眼差しをそこに向けられるのだろうか。あきらめきれないも

のをあきらめようとすればするほど胸は騒ぐ。そこに色の果たしている役割は大きいもの

なのかもしれない。紛れもなくそこにはないものでありながらあきらめきれないもの。で

あるなら、せめてそこから色を抜き光と影の中に閉じこめてしまうこと。それは案外愛し

いものを昔懐かしい画像へと変化せしめるひとつの手かもしれない。などと、そんなこと

にひとり思いを馳せていた。

                              2004年4月21日