ほたる

内藤美智子

 子どものころ、ほたる捕りが好きだった。  毎晩のように友達と誘い合っては河原へ出かけ、長い柄のついた竹ぼうきを振り回した。  虫かごの中に、ほたる草と呼ばれる葉の細い草とほたるを入れ、霧を吹き、中庭に面し た縁先につるておく。  布団に入ってからも、ガラス越しに、きみどりいろの光が点滅するのを見つめながら眠 った。  ほたるの寿命は短くて、大抵次の日には、虫かごのブリキの底に、ひからびたようにな って転がっていた。  べつにかわいそうとも思わず、それを無造作に捨て、また夜になると竹ぼうきを持って、 河原へ向かうのだった。  地面でじっとしているのは蛇かもしれないから、触らないようにと教わった。蛇の目は 光って、ほたるそっくりだという。  蛇をつかんだことはなかったが、川へ落ちたり、ころんで派手に手足をすりむいたりし たとは何度もあった。  半年まえから住んでいるいまの家と県道とのあいだに、一枚の田んぼがある。なんとそ こにほたるがいるのだ。  夜、稲の葉かげでチカッと光っている。庭に立てば、目の前をスーッと横切っていくの もいる。  ほたるを見るのは何年ぶりだろう。  子どものころ捕ったのとは、比べものにならないほど小さいけれど、それでもうれしく て、毎夜外に出てながめている。  台所の電気を消せば、家の中からでも見られる近さだが、やはり稲の葉擦れの音をきき ながら、しっとりした夜のにおいに包まれて見るほうがずっといい。  あれは高校二年生の夏だった。  テニスの遠征の帰りのこと、私たちは、出雲市発の最終便のバスに乗った。  乗客は部員十人ばかりと、ほかに二、三人もいただろうか。  終点の、高校のある町に向かって、バスはひた走っていた。  ふいにだれかが、 「あっ、ほたる」  と叫んだ。  窓に顔をくっつけて外を見ると、無数のほたるが大きな光の渦を描いて飛び交っていた。 「ほたる合戦」と言われるものだったのかもしれない。 「お急ぎの方がなければ、十分間ほどほたる見物をしませんか」 運転手さんがバスを止め、後ろを振り向いて言った。  だれにも異論はなく、乗客は全員バスを降りた。  土手の道には人家もなく、いまとちがって車の往来も少なかった。  しいんと静まりかえった辺りに瀬音が響き、月見草の花がほの白く浮いていた。  ほたるはかすかなにおいを放ちながら、私たちの周りで、華やかな乱舞をくり広げてい る。  私は言葉もなく、ほたるに囲まれて立っていた。  人並みに、将来への憧れや不安を胸いっぱい詰め込み、たった二年先の自分の姿さえ見 えないもどかしさに、苛立っていたころのことである。  泣きたいほどに美しい光景を目にして、激しく心を揺すぶられたあの夜の記憶は、いま もなおあざやかである。  いつのまにか二十数年もの歳月が過ぎ、ふと気付けば、あのころ夢見ていたのとはずい ぶん遠い風景の中に生きている。  それもまたよし。  わが眼前のほたるは、チカチカと、なんともか細い瞬きようである。その小さな光が妙 にいとしくて、今宵もいそいそと庭先に立つ。