発行にあたって



 同人誌「出雲文学」は11号を最後に発行が途絶えた。文字通り「座礁」である。昭和

56年の暮れのことであるから、実に18年あまりもの歳月を数えたことになる。その間

私たちは、俗世の確執の中であがいていたと言っていいだろう。瀬本氏と私との親交も途

絶えた。年にたった一度、年賀状の添え書きに「お元気ですか」と書くのがやっとだった。

 それにしても・・・、書けなくなって久しいが、瀬本氏も私も頭の隅で、書くことへの

一縷の希望を抱いていたことは確かなようだ。明日をも知れぬ・・・、残された時間がど

んどん目減りし、追い詰められていく中で、限られた時間、自分にできることは何か?と

再び問えば、やはり書くことによってしか自分を救済する術がないという当たり前の話に

帰結する。人間とは、一つのことに気づくのに随分と時間のかかる厄介な代物には違いな

い。残り限られた時間であればこそ・・・、それを裏返せば、遡る過去には膨大な時間と、

そして茫漠とした空間が広がっているはずである。そこに新たなる夢の糸口が潜んでいる

と考えられなくもない。

 一昨年のこと、私は再び小説らしきものを書きはじめ、それを唐突に瀬本氏に送った。

すると感想代わりだと言って瀬本氏から私に「ビークル」という作品が、私の作品へのア

ンチテーゼとして届けられた。そこに私は瀬本氏の書くことへの気概を大いに感じたので

ある。「出雲文学」12号を発行するという瀬本氏との約束を私は長い間反古にしてきた。

今更同人誌を?という論議は別にして、私が書くことによって瀬本氏が書き、瀬本氏が書

くことによって私が書くというのであれば、それはそれでこういう同人誌も自己研鑽とい

う一つの場として再びその意味を持つことができるのかもしれない。

 「今は私が生きていること自体が作品である」と瀬本氏は苦渋に満ちた表情で私に言

ったのだが、私はむしろその執念のほどに羨望すら覚える。それこそ、残されたわずかな

時間を使って裏返してみるべきもうひとつの夢ではないのかと・・・。

 かくして、新たに同人誌「座礁」を発行することになった。瀬本氏にとっても、私にと

ってもこの試みが自己検証の最後の試金石になることは間違いない。我々はまだ座礁した

舟の中にいる。                        (2000年1月)

                          「座礁」編集世話人 村上 馨