葉隠入門
 


       桜田 靖 


 葉隠武士道の生誕三百年、このたび「葉隠研究」第七十一号が発刊になりましたので、

紹介致します。佐賀の国学ともされる葉隠をひと口に語るのは至難のことで、以前に母校

の小城高校の機関誌に掲載した一文をもって、いささかご理解の一助とさせて頂きたく存

じます。

葉隠くんのボヤキ

 今は昔、僕は聖典、鍋島論語と持て囃され、鼻高々だったんです。今時の人なんて僕を

知らなくて平気なんですからね…戦争で負けた途端、ボロ雑巾みたいに棄てて知らんぷり

ですか。旧制小城中学の校歌で♪散りて惜しまぬ葉隠の武士の魂かたどれる わが校章の

桜花、旧制小城高女でも♪名にし負う葉隠の乙女子われら、と歌ったでしょう。でも世の

中棄てたものでなく、心ある人々が東京や佐賀で又アメリカ人の哲学者も僕のことを人道

の書として研究しているのです。皆さんも興味を是非持って下さいね。何でもかんでも戦

争に結びつける、ステレオタイプな人間にならないで下さいよ。僕が生まれたのは江戸の

元禄というバブル経済の頃、やはり若い衆は、金儲けの損得勘定と色恋の話題ばかりで恥

知らず、今と変わらないですね。僕の父役の山本常朝は殿様の側に仕えた人ですが、殿亡

き後は金立山の麓に隠棲しました。そこへ母役の若い田代陣基が訪れ、二人は意気投合し

たのです。以後六年半、常朝が口述した教訓、歴史の真相、伝説、人物評を陣基が筆録し、

ここに全十一冊の僕が誕生しました。「葉隠聞書」世にいう葉隠武士道として有名になり

ました。父の遺言は、僕を火葬せよ、でした。今でいう個人情報がぎっしり詰まっていた

からです。でも僕の評判はとても良くて、武家の間を廻し読みされ、写本も沢山出来まし

た。武士の心がけとして代々密かに読み継がれ、維新で武士階級は消えても、僕を家訓と

する「葉隠の家」は世間で尊敬の的だったんです。僕が表舞台に出たのは、佐賀師範学校

(現佐大)で、僕の日本精神を子供達の教育に生かそう、と研究されてからです。忠勇仁義、

行いは純忠至誠、滅私奉公、倒れて尚もやめるな、というサムライの気魄が国難の軍事情

勢に利用されてしまったのです。有名な「死ぬことと見つけたり」は、徴兵された国民に

♪花は桜木 人は武士…と教え、それで桜の花みたいに散ってしまった兵隊さんが気の毒

です。だから僕は嫌われて、戦後は消滅しそうな運命にあいました。「死ぬことと見つけ

たり」は、一日、一日を区切りに死んでは生きて、日常を送れば人生万事に失敗はない、

という尊い教訓なのです。現代人は情けないことに、死ぬことを見つけないで漫然と暮ら

し、折角この世に授かった命をあたら粗末にして自殺する者が絶えず、その数毎年、毎年

三万人以上、僕の爪の垢でも煎じて飲んでよ。

                                      終


参考資料