村上 馨

 福代さんは、私の商売敵なのであるが、人間的には何故か憎めない人の良さというか、 抜けたところのあるというか、何事につけ、たとえそれが人に追い込まれて窮地に立った 場合でさえも、どこか馬耳東風の感さえある面白い人だ。頭の毛も薄く、若い頃から老け て見え、実際に老けてしまった今は年相応に老けて見える。つまり、福代さんは昔からち っとも変わらないのだ。バブルが弾け、人情など儲けるためは何の役にも立たないとされ、 化石かなんぞのように過去の遺物として職場の隅に追い遣られても、いっこうどこ吹く風、 あくまで昔ながらの情に流されながらマイペースを常とする人だ。私は、その福代さんを 愛称として勝手に『福さん』と呼んでいるが、実にフィットしている。  ところで、その福さんと最近裏取引をしなければならないある事態が生じて会った時の ことだ。ややこしい話の前段にと、私のはじめたこの酷暑続きで散歩途中の犬でさえ、熱 射病で突然倒れて死ぬという、最近町で起きた事件に話が及んだ時、福さんは急に声を潜 めはじめたかと思うと、すぐに私の話の腰を折り、例の早口でこんな話を蕩々と語りはじ めた。 「ペットはねえ、どうしようもないくらい可愛いものだけどねえ、不測の事態に対応でき なくて死ぬことがありましてねえ・・・」 「というと、福さんも何か身に覚えが・・・?」 「実はねえ、私は何を隠そう梟を内緒で飼っていたんですよ。」 「フクロウですか?」 「ええ、フクロウですよ。ご存じですか、フクロウは猛禽で、ほんとは飼ってはいけない 鳥なんですよ」 「それは知らなかった。初耳ですよ。でもそんなフクロウをどうして、福さんが・・・?」 「どういう訳か・・・多分親に見放されでもしたのでしょうかねえ、私の家の前の畑にひ ょっこり現れたんですよ。どうしてそうなったのかわかりませんけどね、片目を潰してま してねえ、かわいそうだったので畑のミミズを捕ってやったんですよ。そしたら居ついち ゃいましてねえ。きっと帰るところをなくしてしまったんでしょうなあ・・・」 「それはまた、不思議な縁というか、福さんらしい馴れ初めですねえ。フクロウがミミズ を食べるんですか?」 「肉食でしてねえ、ああいうものが好物でして、一人前のフクロウは、自分でちゃんと土 を突いて食べるんですよ。ところがこの子フクロウときたら、片目のせいか、親とは暮ら せず、餌の捕り方も満足に躾られていなかったんでしょうなあ・・・それ以来、私が家に 帰ると、私の腕に止まり、餌を要求するんですよ。その仕草がまた可愛いときてる。ご存 知でしょう、あの首の振り方・・・きょろきょろした大きな目で、まるで三百六十度、全 方位にカクッカクッと首を振って見せる。もう参っちゃいましてねえ。それで、そのまま 一緒に畑に行ってミミズを私が掘って食べさせてやるんですよ」 「どうやって食べさすんですか?」 「腕に止まらせたまま、手の平にミミズをのせて差し出してやるんですけどね、腕に爪が 刺さって痛いんですよ。餌を食べようと必死に足の爪先で支えるから余計に食い込んでく るんですよ。こらって言うんですけどね、言うこと聞きませんよ」  そう言いながらも、福さんは満面に笑みを湛え満足そうに悦びを語る。まるで子供のよ うだ。 「フクロウは野生で人にはなつかないものとばかり思ってましたが、そういうこともある んですねえ・・・」 「それが私も不思議だったんですけどね、思うに、親に捨てられたんじゃないかと思うん です。普通ですと、親が餌を与えながら、餌の捕り方、微妙なテクニックなどを子に教え ていくのでしょうけど、どうもこの親子にはそれがなかった。たぶん親は、片目では自分 で餌を捕ることができないと判断して見切りをつけたか、子は子でみんなについていけな いと親子の暮らしを自分から諦めたのではないかと思うんです。森へ帰った様子は、それ 以来一度もありませんでしたから・・・」  身につまされた。この話、まるで人間社会の写し絵ではないか。私はある人に思いを馳 せていた。私もまた、このフクロウの親に等しかった。情愛を残しながらも、絶縁しなけ ればならなくなる親と子、人と人、そして男と女・・・それぞれの葛藤には分かち合えな い深い溝がある。 「身につまされる話ですねえ、私のようなエゴイストには・・・」 「互いに未練は強かったのでしょうなあ・・・よく夜更けてから切なそうな声で呼び掛け 合うような鳴き声がこちらからも、向こうからも聞こえてきましたから・・・情は通じて いたんですな」 「そうまで引きあいながら、親は子に逢いには来なかったんですか?」 「そこが、やはり人間と同じなのでしょうねえ・・・きっと子を見放してしまった親とし ては格好がつかなかったでしょうし、それに逢ったとしても、それでどうなるものでもな かったのでしょう。連れ帰ったにしても、そこにはやはりこの片目のフクロウの居場所は もうないのですよ」 「その居場所を福さんのところに・・・」 「そうなったのでしょうなあ・・・ところが一度居つくと、しだいにわがままになってき ましてねえ・・・ミミズだけでは満足しなくなると、今度はカエルですよ。親が見放した 通り、自分では素早く動くカエルが上手に捕らえきれないのですよ。これも私が捕って与 えました」 「まるでそのフクロウの親代わりですね。福さんらしい人優しい話ですよ」 「ところがですよ・・・」と、福さんは、今度は急に真顔に、そして哀しそうな顔つきに なると話を続けた。その結末が訪れたのだ。 「群れを離れて、見様見真似でも自分なりに一人大きくなると、そこはフクロウの本性は 持っていたのですねえ、技術、能力は未熟でも一人でいろいろと試みはじめた。いつまで も私の世話にばかりなってもおれないと思ったのかもしれません。畑の近くには溜め池が ありましてね、そこに水鳥が居ることに目をつけたんですよ。生まれてはじめての空中戦 しかも大物狙いですよ」 「で、成功したのですか?」  そこで福さんは、大きく溜息をひとつ漏らした。 「やはり、向こう見ずだったのですよ。技術不足だったのでしょうな、どんな戦い方をし たのかは、私の寝ている夜のことで窺い知ることはできませんが、きっとそのままドボン だったんですなあ・・・明くる朝、溺れ死んだまま池に腹這いになって浮いていましたか ら・・・」  そこで福さんは、しばし物思いに耽る様子だった。それが、すでに遠い日の話なのか、 つい最近の話なのかは、よくわからなかつたが、福さんの中では時の風化には関係なく、 いつまで経っても変わらず昨日のことで有り続けているに違いない。それが、部下一人も いない万年営業部長として、冴えない凡人扱いされながらも、いっこう動ぜず、いつもひ ょうひょうとしている福さんの怖さでもあり、敵わない凄さでもある。 「何とも悲惨な結末ですねえ・・・」 「ところが、話はまだこれで終わらないんですよ」 「えっ、まだ続きがあるんですか?」 「引き上げて弔ってやろうと思ったんですけどね、仕事に出かけなくちゃならないし、帰 ってからにしようと、そのまま出かけたんですよ。ところがですよ、和久利さん・・・」  もう口角沫を飛ばしそうな福さんは、そこで、溜まった唾を飲み込むと、目を大きく見 開いて私の顔を食い入るように覗き込みながら言った。 「驚いたことに、帰ってみると二羽浮いていたのですよ。」 「二羽・・・?」 「そうなんですよ、心中ですよ。子フクロウの後を追って親フクロウも死んでたんですよ」 「そんなことが有り得るんですか?」 「あったのですよ、それが・・・私の居ない昼間あの池で何があったのかわかりませんが、 私の想像では、呼び掛けても反応のない異常を察知した親フクロウが、池にやってきて事 件を目の当たりにしたと思うんですよ。さてそこからですけどね・・・私の想像は・・・」 「と、言われると・・・」 「二つ考えられると思うんです。ひとつは仇討ちです」 「仇討ち・・・?」 「そうです。子フクロウが戦いを挑んで敢えなく敗れた相手への報復戦です。子に生きる 術、つまり戦う技術を教えなかった責任を親フクロウは痛いほど感じてたに違いありませ んから・・・。でもこの説は、信憑性に欠けますよね、百戦錬磨の親フクロウが極めて日 常的な営みとも言える小鳥ごときの捕獲に失敗するとは考えにくいですからね。そうする と、この線は薄くなる」  福さんの顔は、もう悲哀を通り越して、真実を突き止めようとする刑事の顔に変貌して いる。 「じゃあ、もうひとつの説とは・・・?」 「それは、弔いですよ」 「弔い・・・?」 「つまり、そのう・・・親フクロウは、子の引き上げをしようとしたのではないかという ことです。引き上げようとして引き上げられず、かと言って、諦めることもできず、その まま池に子と共に没したのではないかと思えるのですよ」 「・・・・?」 「いやいや、和久利さん・・・」  私が口を差し挟もうとでもすると思ったのか、福さんは、そうさえぎってこの話の跋に 入った。 「この説も客観的信憑性は薄いのかもしれませんけどね、そう考えたい、そうあってほし いという願望のようなものが私の中には潜んでいましてね、ただそれだけでですよ、私が 想像するのは・・・」 「そうだったのですか、それは凄い話だ。心あるものなら、誰しも身につまされる話です よ。子フクロウの面倒を見続けて、情を通じた福さんがそう思われるのだから、それはそ うに違いないでしょう」 「そうですか、和久利さんもそう思ってくれますか」  さも安堵したという面持ちを見せると、福さんは再びあのいつも見せるような、大きく 口のあいた悪げ無い笑顔に戻った。  すっかり冷めてしまったコーヒーカップがテーブルの上にあった。口をつけることもせ ず、福さんは話し続け、口をつけることもせず私はその話に聞き入っていた。本題に入ら なければならなかったが、前段が大きくなりすぎた。せめて今日だけでも裏取引は恥ずべ きことに思われた。時機を逃せば、商売は逸する。何事もそうだ。だが、私は、今まで私 が腹の底ではいつも何を優先させて歩いてきたか、今の話で明確に思い当たることができ る。なべての人間関係の闇に深く分け入ったことのある人なら、誰しもこのフクロウ親子 に代表される葛藤・・・自我への確執と情愛の狭間にもがくことになることを知っている。 その結末に於いて、自らが自らを始末することのできる者は勇者であると言うことができ るだろう。私は恥じなければならなかった。自ら、自らを始末したその人は、今どこで何 をしているのであろうか?その応えはもうどこにもない。 「じゃあ、和久利さん、また・・・」  そう言うなり、福さんはいつもの早足でドアの向こうに忽然と消えた。言うだけ言えば、 もう聞こえていないのか、私の呼び止めにも振り向くことはない。『ところで、あなたの 話というのは何ですか?』などという野暮なことは言わないところが、何とも福さんらし くて面白い。残された私は一人、思わず笑みを零していた。そしてすぐに寂しさが私を襲 った。                               2002年1月23日

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