絵本『ふぶきの道』を読んで思ったこと



                                瀬本あきら

 『ふぶきの道』という本について  M・レイノルズ/文  S/マッカラム/絵  松本侑子/訳 河出書房新社発行  初版発行1994年  この絵本は「世界の民族絵本集」のカナダ編です。巻末のM・レイノルズ(女性)の説 明を見ると、この話の舞台はカナダの昔の大草原と思われます。また、祖父母が語った実 話に基づいたものだと説明してあります。 私は松本さんが絵本の翻訳もされていることをこの本で初めて知りました。以前『どうし て猫が好きかっていうとね』(竹書房刊)という写真集の翻訳をなさっていることに何故 か驚きましたが、今度の場合は私自身が絵本好きなので思わず心中喜びの気持ちが込み上 げてきました。これからは、オリジナルな絵本づくりを画家のどなたかとのコンビでぜひ 実現させてほしいと思っています。  さて、この作品ですが、他の絵本とずいぶん雰囲気が違うのです。一見地味な絵柄だし、 装丁も穏やかな感じです。ものがたりも意表をつくというようなし掛けがありません。た だ、ものがたりに重さがあり、何か感動的な映画を観ているような奥行きを感じました。  以下、場面にそって感想を述べていきたいと思います。  ○「土曜日になると、モーリーは、茶色い馬、ベルに乗って、ピアノのけいこに通いま   す。」   という書き出しで始まる最初の場面は、見渡す限りの大草原で、馬に乗った少女「モ   ーリー」が黄色いワンピース姿で登場します。季節は夏です。夏は馬の「ベル」にと   っても過ごしやすい楽しい季節だということを印象付けています。これは、次に展開   する冬の厳しさを引き立たせる効果があります。ピアノの先生のところまでの片道十   キロの道のりは季節によってあまりにも違いすぎるのです。  ○「モーリーは、ベルに馬具をつけていません。くらを買うお金がないからです。」   この言葉で始まる次の場面は一転して真冬の場面になります。この表現からピアノの   けいこまでさせる教育熱心な両親だということは分かりますが、経済的にはあまり恵   まれていないということが分かります。「くら」がない馬に少女は乗ることができた   のですが、冬は道がでこぼこしているので「モーリー」はたまに落馬することもあり   ました。しかし、「ベル」は落っこちた少女を「やさしい顔」でふりかえり、体を起   こして乗るまで「しんぼうづよく」待ってくれました。主人に忠実な馬……という言   葉を超えた両者の絆を感じました。  ○「ベルは、としよりのめす馬です。やせていて、あばら骨が浮きでているし、たてが   みもまばらです。」   次の場面は、過去にさかのぼり、「ベル」というめす馬の哀れな境遇を物語っていま   す。お父さんは、「ベル」を売って、子馬を買った方がいいかもしれない、などと「   モーリー」に言っていました。「ベル」をもし売ったとしても、だれが「ベル」の世   話をすることになるのか、と考えて「モーリー」は不安に駆られます。自分が一番よ   く「ベル」のことを知っている、という気持ちがあったからです。  ○「ある寒い冬の日、モーリーは町へ、ピアノのけいこに行きました。」   この場面は、ビアノの女教師の姿と外でけいこの間中寒い室外でじっと動かずに待っ   ている「ベル」の姿が描かれています。  ○「帰り道……モーリーとベルは、ふぶきにまきこまれてしまったのです。」   「はげしい大雪」を地面にたたきつけてくる大草原の吹雪。日本では、北海道しかこ   ういう光景はみられないだろうと思います。いや、それ以上のものすごさだったかも   しれません。両者はこれから起こることを予想できたと思います。特に「ベル」は動   物的な感覚でとっさにそう感じたと思います。  ○「モーリーはふぶきをおそれていました。……ふぶきの中に出ていくと、自分の庭で   さえ方向を失ってしまい、こごえ死ぬ人が毎年でるのです。」   この土地のふぶきの恐ろしさは想像を絶するものであったことが、この部分から分か   ります。自分の家の庭に出ても凍死することがある!! ものすごいふぶきだ!!    だから家畜がいる納屋と家族がいる母屋はロープでつないであります。それから、こ   の場面の絵の中心を、よく注意して見ると、高いやぐらの上に風車がとりつけてある   のに気づきます。何のための風車か? 構造からして、発電とか、粉挽きとか、そう   いうものではないような気がしました。そうだ!! 目印だ!! 私は突然そう思い   ました。家はここですよ、という目印。ふぶきに巻き込まれたときに、進むべき方向   を示してくれる目印ではないのか!!  ○「モーリーはこわくなり『ふぶきだ!』と、嵐の中でひときわ高くさけびました。……   ベルは頭を低くして、慎重に、一歩一歩、足を進めています。……この老いてかしこ   いベルは、ひずめで、雪の下の道のありかを確かめようとしているのです。」   この場面では、両者の様子が対照的に描かれています。叫ぶ「モーリー」。じっと眼   をつむって道を確かめて冷静に歩いている「ベル」。全身の神経を集中して歩いてい   る「ベル」には確たる自信があったと思います。  ○「……ベルは向きを変え、ふぶきに体当たりしていきました。嵐の中を死にものぐる   いで進んでいるようです。見渡す限り、ぼうっと白くかすんでいて、ほんの少し先も   見えません。どこが地面でどこが空なのかすら、わからないのです。……」   「モーリー」はこのとき、すでに凍傷のため全身の感覚が麻痺していました。もう「   ベル」にすがるしか生きる道はありません。このままふぶきの中に長時間閉じ込めら   れれば、死から免れることはできません。「ベル」は家の方向を察知し、方向転換を   して、敢然と雪嵐にぶつかっていきます。この場面の絵に私は一番感動しました。た   てがみを振り乱し、眼をかっと見開いて、命を賭けて走り出す「ベル」……。そこに   は、動物的な本能とか、忠誠心とか、使命感とか、そういうものを超えたすさまじさ   を感じました。  ○「すると、突然、ほんのいっときだけ、風も雪も、ふきやみました。ベルは、しっか   りと立ち止まります。頭をあげ、ぴんと耳を立て、平原のかなたを、一心に見つめて   います。/モーリーも目をあけて、ずっと遠くに目をこらしました。……ずっと向こ   うに、風車のつばさが見えてきました。……」   神の恩寵でしょうか。一時だけ小止みになった雪原。「ベル」の方向感覚に狂いはあ   りませんでした。家の風車がかすかに見えたのです。風車は嵐のときの目印ではない   か、という私の考えはここに起因しています。ただこの点については、私はまったく   知識がありません。  ○「嵐がやんだのもつかの間、また風はふき荒れてきました。……モーリーの手はこご   えきっていて、もういっときだって、たてがみにつかまっていられません。そこで、   ぱっとベルの首にだきつき、顔を雪まみれのベルの毛にうずめました。……」   このまま馬が行き迷えば、「モーリー」の凍死は必定です。我が命を老いた馬にすべ   て託す「モーリー」。応えてひた走る「ベル」。動物と人間の、いや、生きもの同士   の厚い信頼関係がそこに花開いたのです。  ○「しばらくすると、……見なれた小さな農家が見えました。……」   いよいよたどり着いたのです!! 「まぎれもなくわが家です。」。「ベル」は重大   な責任を果たしたのです。幼い尊い命を守りとおしたのです。心配そうにしている父   と母の影が窓に映っていました。しかし……、どうして「お父さん」は迎えに出なか   ったのでしょうか? こういう疑問が私の心に芽生えました。他に馬がいなかったの   かもしれません。「お父さん」が捜索に出れば、同じように死の恐怖が待ち受けてい   ます。「お父さん」は、「ベル」を信頼しきっていたのかもしれません。それにして   も……。私の疑問は解決しませんでした。  ○「……モーリーの服が、ベルの背中にカチカチにこおりついていたので、お父さんは   肉きり包丁で切りはなしてモーリーを馬からおろし、部屋に運びました。」   生還したわが子を抱き上げる父親の姿が逞しく描かれています。母親の顔色は青ざめ   ています。  ○「……お父さんが納屋のとびらをあけると、年寄りのベルは、こごえてかじかんだ足   がよろけて、ふらふらしました。」   疲れきった「ベル」といたわるように納屋に連れて行く「お父さん」の絵ががっしり   とした描線で描かれています。  ○「納屋は、ほかの家畜の体温で、ぬくもっています。……ベルのからだは霜におおわ   れ、口と鼻の穴には、氷がはりついていました。両目も、ガラスをかぶせたように、   こおりついています。……ベルは頭をあげ、額をお父さんに押しあてました。……」   「ベル」にとっての最大のねぎらいは、「お父さん」にいたわってもらうことだった   のでしょう。しかし、「お父さん」は、大麦を出して食べさせようとしますが、食べ   る元気がなかったのです。「ベル」の体が暖かくなると、「お父さん」は「ベル」の   首筋を「ぽんぽんと」たたいてやりました。そして、しだいに眠ってしまいます。……   しかし、どうして迎えに行かなかったのか? この最後まで残った私的な疑問への解   答を、私は、その、「ぽんぽん」という音に見出した感じがしました。「ぽんぽん」。   なんとも言えないいい響きです。よくやった。よくやった。恐らく「お父さん」は、   不安にかられながらも、間違いなく連れて帰ると信じきっていたのではないでしょう   か。いや、こういう単純な答えだけでは説明しきれていません。恐らく「お父さん」   は、長年の経験から、今「ベル」と「モーリー」はどこでどうなっているか、想像で   きたのかもしれませんね。それは、「ベル」が足の感覚で道を探していた、また、風   車のある方角を探し当てたその思いに通じるものであったのかもしれませんね。  ○「お父さんは、もう二度とベルを売る話をしませんでした。……」   最後の場面は、また、夏の明るい大草原にもどります。「ベル」と「モーリー」が向   かい合って話し合っています。何を話しているか? それは、この物語には書かれて   いません。                                      (了)