死者の伝言         村上 馨



 亡くなった今田さんは、私にとってとても大切な人だった。

 と言っても、その『大切な』という意味は、私が、今田さんと、かけがえのない心の交

流があったとかいうことではなく、あくまで、私自身の私利私欲においてのことでしかな

いから、むしろ、重要な人であったと言い換えた方が適切なのかもしれないが・・・。

 それにしても、今田さんの死は、私の前にあまりにも唐突、かつ不可解に現じたので、

そのことは、私がいかに今田さんをわかっていなかったか、そして、いかに仕事上でしか

利用していなかったかを証すようなものでもあり、その死の事実が、私に提示して見せた

その先に、私の愚かな想像などを遙かに超えて、今田さんの心の奥に荒涼たる孤独な世界

が潜んでいたと知ったとき、私は、その凄まじさにたじろぎ、言いようのない苦しみに襲

われた。私の心は、今、澱んだ河の中で、立ち竦んでいる。

 私は、今田さんの心を掴み直さねばならないと思う。今田さんの死は、その意識が果て

たことと同義ではないと、私は思いたかった。今田さんの途絶えた意識は、今なお形を変

えてどこかに在るはずだと思いたかった。この手記は、ただ一人、今田さんのために書か

れねばならない。話は少し遡る・・・。



                  第1章



 私は、今、この人口十万人に満たない、小さな町で電器店を営んでいる。経営はずたず

たである。それでなくても売上はじり貧状態のところへもってきて、この町三軒目となる

大手量販店が殴り込んできて、文字通り戦国下克上の相を呈してきた。もうテレビや冷蔵

庫などをコネで汗かき汗かき売っていてもはじまらず、かといって、売れ筋のパソコンな

どは、言わずもがなである。私の、長らく改装もままならないチンケでささやかな店に、

わざわざ足を運んで、加えて高くつく買い物をしてくれる奇特な客など、もはやどこを探

しても見あたらない。贔屓商売ができたのは、町や村がまるごと運命共同体であった時代

のことだ。私は、廃業か、さもなくば、量販店の隙間を衝くことのできる、新しい商売を

見つけなければならない経営岐路にあった。

 今田さんとはじめて遭ったのは、そういうときであった。新築なった某公立学校に、ま

とまった数のテレビを納入することになって、その据え付けに出向いたときのことだった。

それも、何度も入札に負けて、十二度目にしてやっと、それもバナナのたたき売りに近い

捨て銭で、ただ実績が欲しいがためだけの思いで、同業者の顰蹙を一身に浴びながら、落

札できた苦渋の産物である。骨折り損のくたびれもうけのような、据え付け作業を前に、

私は、訳もなく苛立っていた。

 それにしても、電波事情の良くない学校だった。送信所からはそう遠くなく、電界強度

もそこそこあるのに、映像には砂粒ほどのざらつきがたくさん走り、画像もダブっていた。

テレビの映りが悪いと、クレームでもつけられたら、事情を話して納得してもらうまでが、

また一苦労になる。

 顰めっ面をテレビの画面に見据えたまま、じっと腕組みをしていると、背後から、

「どうかされましたか・・・」

 と、一目で工事関係者とわかる、作業着姿の男に声をかけられた。赤銅色に焼けた、皺

だらけの小さな顔に、人なつっこそうな笑みを浮かべて、年の功、五十は越えていると思

われる小柄な男が立っていた。それが今田さんだった。

「いやあ、テレビを据えにきたのですがね、映りが悪いんですよ。電界強度はそこそこあ

るのに、ほれ、ご覧のとおり・・・これじゃあ、学校側から文句言われそうですよ。私と

しては、テレビを納めるだけの仕事しか請け負ってないんですけどね、これはどうしたも

のかと思いましてね」

 そう、私が言うと、今田さんは浮かぬ顔をした。

「やっぱりね・・・竣工前に人手が足りないから、手伝ってくれって言われて、ここに入

ったけど、アンテナ位置が良くないよ。設計図にはあの場所で書いてあったかもしれない

が、ここは海の反射を受ける微妙な地区でね、ほんとは、事前にアンテナ位置と受信角度

を相当あれこれ吟味してやらないと、映るはずがない。元方業者の怠慢だよ」

「今となって、何か、いい方策がありますかねえ・・・」

 私は、私の前に突然風の如く現れた救世主に、縋るような思いで訊ねた。

「それは、今も言ったとおり、映るアンテナ位置を探してみるしかないね。受信側でどん

な装置を付けたって、ソースが悪けりゃね・・・」

「あなたに、それができるのですか」

 私は、身を乗り出し、さらに訊ねた。

「以前、この近所で対策工事をしたことがあるから、やってやれなくはないと思うがね。

だけど、金がかかるよ。あんたが、そんな、想定外の予算を捻出できるとは思えないし・

・・あんたは、ただテレビを据えれば済むぐらいに思って、楽に請け負っただろうがね・

・・だいたい、こういう微妙な問題の責任分界はとかくなすりあいになってしまいがちだ

からね。それに・・・」

 ややあって、まだ言いかけようとする今田さんを遮り、私は先に言った。

「私が、責任持つと言ったら、あなたやってくれますね」

 今田さんは、虚を衝かれて、きょとんとしていた。

「こういうものです」

 私は、名刺を渡し、今田さんの連絡先を手帳に控えると、教育委員会と掛け合うために

役所へすっ飛んだ。



 事情を聞いても渋々顔の係長は、なかなかうんと言わなかった。いつになく私はしぶと

く食い下がった。そのとき私にはある考えがひらめいていた。この仕事を機に、今田さん

と関係を持つことで、私は新たな仕事への足掛かりを掴むことができる。ちょうどその頃、

私は、通信衛星のデジタル放送受信契約の代理店をしないかと、持ちかけられていた。今

田さんと組めば、代理店としてのインセンティブ収入に加えて、工事収入も得ることがで

きる。これなら、やってみる価値もある。幸いなことに、今田さんは、個人事業の一人親

方で、一匹狼的な仕事の仕方をしている風だったし、何よりも、高い技術知識を誇りにし、

金銭抜きの職人気質を貫いている風に見えるところが魅力だった。

「せっかく、テレビを三十台も入れさせて貰ったのに、満足に映らないようでは、私も、

この町で、長年信用商売をやってきたものとして、プライドが許さない。予算がつけられ

ないと言われるなら、この際、自腹を切ってでも、自主的にやらせて貰いますが、アンテ

ナの移設許可だけいただけますか」

 半ば脅しに近かった。黙っていた係長が横目でちらっと私の顔を見上げて、それから、

腕組みをしたまま、机の上の書類をじっと睨みはじめた。成功の扉への第一歩・・・係長

は、どうしたらこの突発工事の予算が捻出できるかを、真剣に考えはじめたのだ。

 一週間ほどして、私の提案したアンテナ移設工事は、本体テレビ納入に係る随意契約に

該当する工事として、ほぼ私の見積金額通りで発注された。今田さんの力を背景に、私は

新しい仕事を手に入れることができた。これは、私の店の将来につながる掘り出し物だっ

た。

 さっそく電話を入れたその翌日、今田さんがにこにこしながら、私の店にやってきた。

「予算ついたんだって、あんたもたいしたもんだ。ああいう状況で逃げないところがいい」

 今田さんは、ことのほか上機嫌だった。額に積年の皺を刻んだ、その日に焼けた小さな

顔が、私には、まるで子供のように見えた。

「どうも、工事関係者は、銭勘定が先に立っていけないよなあ。それより、実際に使う子

供たちのことを先に考えてみてくれなくちゃ・・・まあ今回はいい結果になってくれたか

らよかったけど・・・」

「さっそく、工事の方、お願いしますよ、私も手伝いますから。いやあ、それにしても、

私もあそこで、あなたと出会っていなかったら、こんな展開へとコマを進めてはいなかっ

た。今頃は当局や学校への言い訳に終始していたでしょうな。前に進めたのは、すべてあ

なたのおかげです。少し、ひらめいたこともあったし・・・」

「ひらめいたこと・・・?」

「そうなんです。実は、私の店もご多分にもれず、行き詰まっていましてね。探してたん

ですよ、新しい仕事を・・・」

「新しい仕事ねえ・・・?」

 今田さんは、訝しげに、私の目を覗き込んだが、その顔は相変わらず笑っている。

「いえ・・・何も別に仕事自体が新しいってわけじゃないんですがね、私にとっては、新

たな取り組みということですよ。この間、今話題の通信衛星のデジタル放送受信の代理店

の話がありましてね、今までのように、単にテレビを売っているより、受信契約から受信

設備に至るまで、いっさいお客さんの面倒をみてあげるという、小回りの利く仕事っての

が、うちのような小さな店は、これからいいのかなあって考えてたところなんですよ。と

ころが、肝心の技術を持っていて工事をしてくれる者が、うちにはいないんですよ。そう

いうところへ、突然あなたが現れた。渡りに船って感じでしてね。今日改めてお願いした

いと思ってますが、うちの工事を引き受けて貰えませんか。毎日来て貰うほど仕事は取れ

ませんから、無論あなたの都合優先ということで構いませんから・・・」

「CS受信ねえ・・・そうだねえ、これからはそうなるだろうねえ・・・いやそうならな

いとおかしい・・・」

 今田さんは、独り言を呟くように言った。いい話とも、悪い話とも受け止めていない風

だった。私としては、てっきり、そう裕福そうにも見えない今田さんに、仕事を出すわけ

だから、ありがたい話として、二つ返事で了解が貰え、礼のひとつも聞かれるものと思っ

ていたので、拍子抜けしていた。

 すると、今田さんはすたすたと、外へ出て行って、今田さんのボンゴ車の中から何か装

置らしいものを取り出すと、それを抱えてまたすぐに戻ってきた。

「これ、何だかわかりますか」

「いえ、何だか難しそうな機械ですね、はじめて見ますよ、もちろん・・・オシロスコー

プのようなものですか」

「そうそう、まあ目的は、それに近いとは言えるけどね。テレビ電波は遠くへ飛ばすため

に、高周波で変調されているからね。解析するには高度な仕掛けがいる。これね、スペク

トラム・アナライザーと言ってね、電波の歪みやノイズ、妨害波などが、この画面で波形

として一目でわかる優れものなんだよ」

 今田さんは、さも得意気に話しつづける。まるで、我が子ほども可愛がる風である。

「このあたりじゃ、どこの会社でも持ってないんじゃないですか、これほどの高価な機械

は・・・まして個人レベルではなおさらのこと・・・」

「まあ、そうかもしれないがね。さっそく、これで学校のアンテナ位置を本格的に調整し

てあげますよ。最善のポイントを見つけられますよ、きっと・・・」

 私は、救われたような気持ちになった。今田さんは、何ともたのもしかった。利害打算

に明け暮れて、日々金回りにばかり奔走していた私は、虚を衝かれた思いだった。今田さ

んは、さも仕事を楽しむ風だった。しかも、その博学な仕事ぶりは、プロフェッショナル

のものだ。どうして、こう金銭抜きの仕事に徹することが、できるのだろうか・・・それ

でも、私は、今田さんの過去の経歴や、その家庭などプライベートなこと、つまり今田さ

んの生計や、その人間的背景にまでは思い及ばなかった。また、逆に言うと、そういうこ

とが問題になる人とは思えなかったのである。



「今田さあ〜ん。缶コーヒーでも飲んでやりますかあ・・・」

 学校の屋上に通じる小さなタラップを登って、強い陽射しの照りつけている屋上に出て、

声をかけると、今田さんは、高いアンテナマストに一人よじ登っているところだった。

「ちょうどいいところへ来られたよ。今アンテナを外すから、受け取って貰えませんか」

 信じられない光景だった。亜鉛メッキの施されたアンテナマストは、直径10センチほ

どもなく、しかも上にいくほど、一段づつ径が細くなっている。足場ボルトもない、その

突端まで、今田さんはどうして登れたのか不思議でならなかった。猿でもなければできな

い芸当だった。しかも今田さんは、腰に巻いたロープ一本を支えに、空いた両手で器用に

アンテナを留めているボルトを緩め、それをマストから抜き取ると、腰袋に入れたロープ

に巻き付け、するすると私のところへ降ろしてきた。完璧だった。今田さんは、どんな作

業でも一人ですることを研究し尽くしていると思われた。

「差し入れですか。こりゃあどうも・・・」

 降りてきた今田さんは、皺を刻んだ額に浮かび出る玉の汗を拭おうともせずに言った。

「今田さん凄いことされますね。人間技じゃないですよ。私にはサーカスでも見る思いで

したよ」

 また、今田さんの小さな、日に焼けた顔が、いたいけな子供のような笑みを浮かべた。

私には、不思議でならなかった。いったい、その笑みはどこからくるものなのであろう。

私が、思ったことを裡で歪曲させないで、そのまま素直に言うと、その笑みがこぼれてく

るように思えるのである。

 私たちは、パラペットに腰を下ろし、缶コーヒーの栓を抜いた。

「よかったですかね。好みがわからないので、一応微糖にしておきましたけど・・・」

「そりゃあ、もう何でも・・・ごちそうになるものには、贅沢は言いませんよ」

 頭上の空にも、見晴るかすことのできる水平線の上にも、背後に迫る山の稜線の上にも、

雲一つ浮いていなかった。

「これだけの蒼い空も珍しいなあ・・・この町では年に数えるくらいしかない」

 はじめてである。今田さんの口から叙情的な言葉が衝いて出たのは・・・。

「私は、もうすっかり忘れていましたよ、今の今まで・・・。空がこんなに蒼いというこ

とも、こんなに真っ直ぐな光を体一杯に浴びることも・・・久しくなかったですね。ろく

に本も読まないんですが、かっこつけて言えば、風の囁きでも聞こえてきそうなくらいで

すね、今の時間は・・・もうすっかり置き去りにしていましたよ」

 今田さんは、飲みかけの缶を地べたに置くと、何も言わず、胸ポケットから、パッケー

ジが皺くちゃになった『エコー』を取り出すと、風を遮る見事な手つきで火を点けた。何

をさせても今田さんは、器用この上なかった。

「あなたの仕事、手伝わせて貰いましょう。これからは、衛星の時代だ。電波も頭上の空

から降ってくる。考えてみれば、それが一番平等だ」

 まったく唐突に、今田さんは、昨日の私の問いに、やっと答えを返してきた。今田さん

にとって、私の申し出は、もうどうでもいいことなのかと思いはじめていた。

「それは、ありがたい。百人力得た思いですよ。ぜひともよろしくお願いしますよ。しか

し、今田さん・・・それにしても、平等とは、これまた意味深いこと言われますね」

 愚鈍な話だが、私は、このときはじめて今田さんという人に興味を持った。探りのひと

つも入れてみたくもなった。

「そりゃそうじゃないかなあ。雨にしても、今日のこの陽の光にしても、蒼い空にしても、

天から降り注ぐものは、地上のものにとっては、それが吉であれ、凶であれ、みんな平等

でしょう。それに較べ、地上から人が電波を飛ばすとなると、距離とか障害物とか不平等

な要素がいろいろと割り込んでくるでしょうが・・・」

「なるほど、たしかに、それは言える」

 私が頷き返すと、今田さんはまた話しつづけた。

「私はね、昭和30年代の後半に、テレビジョン放送が普及しはじめた頃から、辺地共聴

施設の整備工事に県内くまなく歩いていましてね。そのとき、つくづく感じたんですよ」

「と言うと・・・?」

「とにかく、田舎の人に、電波も不平等なんですよ。たかだか、テレビを見ることのため

に、すごい大金を負担しているんですよ。これが、都会だったら、アンテナ一本とテレビ

さえあれば、映るのにね。それでも、みんな見ようとしたのは、田舎の人にとっては、テ

レビに映る世界が、手の届かない夢の世界にも拘わらず、目の前にあるという、不思議な

現実感を得られるということだったんだろうね」

「いやあ、それはよくわかりますね。私も田舎で生まれ育った人間ですから・・・何せ、

私の子供の頃は、テレビがあるなんて家は、それはもう大家で、お金持ちだったんですか

ら・・・相撲でもはじまる時間になると、子供たちがわんさと庭先に押し掛けて、わいわ

いがやがや、蜂の巣をつついたような騒ぎでしたよ。懐かしい光景ですね、今では、もう

・・・」

「悪政ですよ、これは・・・都会も田舎も平等でなくちゃいけない。ことに夢のある世界

は、そうでなくちゃいけない。朝から晩まで、汗水垂らして米や野菜を作って、やっと夜

になって、一息ついて、見ることのできるテレビに負担金をかけるようなことをしてはい

けませんよ。まして、その米や野菜の恩恵にあずかるのは、都会の人たちですからね」

 今田さんには、俗世の垢らしい垢は、染み込んでいない風に見える。いや染み込ませて

いないといった方がよいのかもしれない。年輪が刻んだ深い皺と、子供のような笑みの零

れる口許がひとつになった、その小さな顔立ちの中に、一見、アンバランスとも思える不

思議な香りが漂っている。知も心も技も、どれひとつとっても人並み優れていると思われ

る今田さんのような人が、今どうしてこんなところで、こんなことをしているのか、不思

議と言えば、これも不思議な話だ。

「今田さん、それだけの技量をお持ちなんだから、人でも雇って本格的に事業なさったら

どうなんです?衛星受信の仕事は、どんどん増えると思いますよ」

 今田さんは、大きく声に出して、はっ、はっ、はっ、と笑った。あの、裡にはにかみを

含むような、今田さんのものではない、嘲るような笑いだった。

「私は、人が使えないんですよ。もちろん、使われることもですけどね・・・だからこう

して一人細々とやってるんですよ。何かが欠けてしまってるんですな、もともと・・・」

「そうも、私には思えませんけどねえ・・・」

「いや、わからないものですよ、人間は。蓋をあけてみないことにはね・・・」

「謎をかけられますねえ・・・ところで、今田さんのお子さんは今何を・・・」

 一瞬、今田さんの顔が曇り、すぐにまた人なつこい笑みに戻ったが、すでに今田さんは

立ち上がっていた。

「さあ、やりますか。暗くなるまでにしまわなきゃならない。秋の陽はすぐに落ちてしま

いますからなあ・・・」

 私は、それ以上言うのをやめた。

「一度、顔合わせにでも、一杯やりますか」

「そりゃどうも・・・考えときますよ」

 そう言うと、今田さんは、私の方はもう見向きもせずに、作業に取り掛かりはじめた。

いつかまた折りをみて、つづきをと、私は考えたが、結局のところ、今田さんと何くれと

なく話すことかできたのは、これが最初で最後だった。


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