大 根
瀬本明羅

トントンと 妻が台所で大根を刻む音を聞いていると こころが和む 煮物かな鍋物かな・・・・・・ 大根と言えば思い出す話がある 「徒然草」に 大根が体によいと信じて長年食していたある男が 敵の来襲時に 大根が変身した兵に危うく身を助けられるという「大根武士」の話 命がけで生きていた時代の話である トントン  トントン それにしても 茂吉は何故「大根の葉」に降る時雨を詠んだのか ふと不思議に思うときがある もしかして あのピリッとした辛味だな 辛味と初冬の季節感 トントン  トントン 妻のこころは時雨れているか 夕焼けで染まっているか トントン  トントン ふと 音が止んだ 「ゆふされば・・・・・・」 私は大きな溜息をした 「大根の葉にふるしぐれ・・・・・・」 すると 私は大根畑の中にいた 「いたく寂しく降りにけるかも」 私はしばらく時雨に濡れていた 悲しい思い出もある 終戦直後 飢えていた私たち子どもは 山の畑の芋や大根を ほじくって食べたことがあるのだ 殊に大根は旨かった 泥をズボンで拭い 尻尾からかじる 半分くらい食べるとぽいと捨てた 口の中に辛味がへばりついていて 満腹感が嬉しかった 茂吉も大根をかじったに違いない この歌は底の方に 悲しい物語があるに違いない 私の幻想は 膨らむばかり 川を流れてゆく大根の葉をうたった虚子も かじっているに違いない 大根は不思議な生き物だ つるっとしていてあどけない これを食べた人間は 何を感じているのだろう 何も思わない人は きっと 幸せすぎたのだろう・・・・・・