俳 句 誌 『地 帯』 の 終 刊 に 寄 せ て

   『地帯』第270号(福島小蕾追悼号・昭和44年4月発行)
   表題の文字、表紙絵は加納莞蕾画伯筆

                                                 瀬本 あきら

 『山陰中央新報』の1月19日号を読んで、私は非常に驚いた。というのは、俳誌 『地帯』(島根県安来市発行)が平成22年末の「第710号」をもって終刊したこ とを知ったからである。  正直言って、私は今でも続いていたことを知らなかった。私が誌友として末席を汚 していたのは昭和30年代後半である。だから、懐かしい!!という気持ちとともに へえー、すごい !!という気持ちが湧いてきたのである。  私は親戚のものの勧めもあって、文学は俳句の道から入っていった。そして、福島 小蕾(ふくしま・しょうらい)というお方を紹介して貰い、そのお方に拙い句を添削 していただいていた。そういうやり取りをして、何とか句として整えていただいたの である。そして、第U部という投稿の欄に載せていただいていた。この間私は懇切丁 寧なご指導を通して、文学の表現の面白さと厳しさを学んでいった。  先生の経歴のことはいろいろ調べて次第に分かってきた。素晴らしいお方に私は添 削して貰っていたのである。今思い出すと、先生には私のような未熟な若者を相手に する時間はなかった筈である。忘れもしないが、新潮社の歳時記の例句に先生の作品 を発見したときは非常に驚いた。えっ!! そんなに高名なお方なのか!!  上の写真の『追悼号』によると、私の師(?)は、1891(明治24)に安来市 で生まれ、1969(昭和44)に、惜しまれながら病没しておられる。『ホトトギ ス』では高浜虚子選、雑詠欄の第1ページを飾る常連で、その実力は高く評価されて いた。後、同誌で臼田亜郎を知り、『石楠』に入り指導を受けておられる。そして同 誌の最高同人となっておられる。「出雲に小蕾あり」と中央俳壇でも称賛されるほど であった。  そして、大正14年12月に『礼賛』を創刊。後昭和4年6月に『白日』と改名。 そして、昭和24年4月に『俳句地帯』と改題。さらに、昭和32年1月『地帯』と 改題し発行を続けられた。没後は主宰が富田野守、田村八束、森田廣と代わり、脈々 と遺志が受け継がれていったのである。句集は『狭田長田』(1942・11)、 『土をしたふ』(1953・9)など多数。師の句碑は島根県広瀬町冨田の城安寺に 建立されている。代表作を次に少しばかり。   山人よ大き灯ともせ秋の暮れ   ひゝらぎが咲いても兵は帰り来ず   封切つて兵のにほひを知る時雨   年の夜の寝た子の髪へ櫛あてる   十まりの蛸壷さらす花海桐(花海棠)   市振やはらはら雨の嫁菜菊   いとぐるま母が鳴らして朧月    臼田亜浪は大正昭和の俳壇に独自の地歩を築いた俳人である。明治12年小諸生まれ。 はじめ新聞記者であったが、大正4年『石楠』を創刊主宰し、昭和26年に没するまで 旺盛な作句活動をするとともに門下に多くの俊英を育てた。 既成の季題観念にとらわれ ず、生活に根ざした人間的感情を、自然観照と一体化させる句を作った。 『地帯』の関 係者の尽力で、句碑が城安寺境内に建立された。   昭和38年11月発行・217号   同年7月発行・216号  この写真の2冊に私の句が掲載されている。まことにお恥ずかしいかぎりであるが、 その句を少しばかり。先ず、小蕾師がいかに添削されたか、鮮明に記憶しているものを 挙げたい。   黒潮を足下に受けて畦を焼く  この句は「足下に受けて」が意味不明ということで、   黒潮を足もとに見て畦を焼く  という風に添削していただいた。私は、このご指導を大きな反省材料にしていた。こ の句の風景を私は汽車の中で見た。海に面した高い崖の上で農夫が畦焼きをしていたの だが、その足の遥か下のほうで波が打ち寄せていたのである。そのスリリングな風景を そのまま句にしたのだが、「足下に受けて」とすると、距離感が出ない。そこのところ を旨くまとめていただいたのである。  その他数句。   蚯蚓(みみず)鳴く西洋菓子を食ひをれば   霖雨染みし傘立て掛けて飯にありつく   春霖(しゅんりん)に幽かにアンテナ電波捉ふ   日々驟雨(しゅうう)己が体形とりもどす   視力徐々に弱るごと夕焼け後   干せしイリコの蟲が這ひ出す油照り     ネオン点き昏きところの彼岸花   夜寒く書棚の字典稜をもつ   身に入むや活字おのづと序を正す  その後、私の句は自由律へと傾いていく。大学の文芸誌に発表した句を少し。   霖雨あがりまるいまるい陽転がす稜線   枝条張ってこの樹ビル群掴んでいる   店出でし女の脚線舗道寒  最後に、俳句誌『地帯』の編集・発行に長年携わってこられた方々のご努力に敬意を 表しますとともに、福島小蕾先生のご指導に改めて感謝し、ご冥福を心からお祈り申し 上げます。