刊行著作の紹介


琴川輝正 著 詩集『玄天』の紹介

                

 「出雲文学」同人で、事務局も担っていただいていた琴川輝正氏が待望の詩集『玄天』

を刊行されました。

 序文は瀬本あきら氏、カバーデザイン装丁は村上馨がお手伝いさせていただきました。

 「自己の生の根源を訪ねる旅」と瀬本氏が序文に書かれたように、この詩集は過酷な

逆境の中で、生を希求し続けてきた琴川氏の人生の総括である。

 表題作『玄天』はまさに琴川氏の原点でもある。行き詰まり、親子心中をはかろうと

する母に連れられて川沿いの道を歩く。おそらくその川は自宅近くの神戸川、古くから

地元では琴川と呼ばれ、瀬本氏の序文によれば、清流が底の石ころを動かして琴の音の

ような妙なる響きを発したと言う謂われがあるようである。

 
 母と

 川添の道を歩いていました

 日が落ちてから

 僕はどこへ行くのだろう

 と 思いながら

 少し猫背の母の後をついて

 この先は帰ることのない

 道だとは

 わからないまま

 対岸の町明りの下の

 歓喜を頭に浮べて

 黙黙と歩き

 堤防を横切り

 水辺へと歩く

 母の思いを

 知ったとき

 僕は母の袖を引き

 帰ろう

 死ぬのは厭だと

 頬を伝う涙をぬぐい

 天を見上げながら

 いま来た道を


 玄天とは、北方の天を指し、北斗七星のまたたく空に作者は何を見たのであろうか。

この詩集を『玄天』と題せるところに作者の真髄を見る思いがします。  (村上馨)

 この著作へのお問い合わせは下記へお願いします。

 著者  琴川輝正
 現住所 〒693-0031 出雲市古志町157−11
 TEL 0853−23−3817

 版元/印刷/製本 有限会社フォルム
 住所  〒690-0822 松江市下東川津町55−10
 TEL 0852−60−5501

山陰中央新報に掲載されました。


『幻の川』を読んで思い出した私の学生時代(書評に代えて)                          瀬本あきら             以下の文章は、過般、『座礁』の掲示板に書き込んだ文章ですが、ここに改めて掲載 させていただきます。  桜田先輩、第18回「北九州市自分史文学賞」入賞おめでとうございます。  拙い読後感をと思って書き進めていましたが、書いているうちに私の学生時代が関連 して次々と思い出され、結果として私の思い出話になりました。悪しからずお許しくだ さい。   先ず、たくさんの人に読んで貰いたい気持ちから本著の書誌的事項をメモしておきた いと思う。  あらすじ(本の帯より)  深山の花は美しく咲いても、人知れず散っていく運命にある。小倉の場末の市場に咲 いた一輪の花、ヒロイン満里子の楚々と儚い美しさを通して、崩れ行く今の世相につな がる原風景が見えてくる。第18回「北九州市自分史文学賞」入賞作品。  著者略歴 (巻末の著者紹介より)  桜田 靖  昭和17年旧小倉市に生まれ、大分県、佐賀県で高校時代まで過ごした。昭和40年  北九州大学外国語学部卒業。警視庁警察官拝命。平成3年退職。以降は警備業などの  事業を起こし、後に大手ビルメンテナンス会社の事業本部で警備防災・危機管理など  の研修責任者として現在に至る。ウェブ同人誌「座礁」同人。『幻の川』は、第18  回「北九州市自分史文学賞」入賞。  タイトル−『幻の川』、出版社−西日本新聞社、著者−桜田靖、定価−本体952円  +税(1,000円)、ページ数−170ページ  「北九州市自分史文学賞報告書」の選評で、選考委員は『幻の川』について次のよう なコメントをしておられる。   柴田翔氏 「敗戦後まだ日の浅い小倉の町の騒々しくも活気のある商店街やそこに暮らす人々の様 子を活写して、生々しい臨場感があり、北九州市特別賞の候補にもなった。ただ作者が 自分の観念に強くこだわっている点が、逆に物語の展開を浅くした嫌いがあった。」   岩橋邦枝氏 「作者の北九州大時代の小倉が舞台で、活気にみちた面白さでぐいぐい読ませる。果物 屋に間借りしたアルバイト学生の私を中心に、商店街の人びとや学友などおおぜいの人 物が活写され、美女やヤクザのからむ人間ドラマもあって、昭和30年代後半の小倉の 世相人情の生き生きとした記録になっている。」  この両氏の選評を比較・吟味しなから進めたいと思う。  両氏は奇しくも選評の中で「活写」という言葉を使っている。文芸研究会の1学年先 輩の桜田氏が4年間暮らした小倉の当時(昭和30年代後半)の情況は、私も懐かしく 思い出すことができた。先輩がこれほど小倉の人たちと深く関わっておられたとは、私 は全く知らなかった。先輩については、詩を書いておられたこと、部室でごく日常的な 会話をしたこと、部員が揃ってハイキングをしたことくらいの記憶しかないのである。 温厚な感じのお方だったので、後で警視庁勤務をしておられると聞いて驚いた。山陰の 片田舎からはるばるやってきた私は、先ず路面電車が非常に珍しかった。都会に来たな あという実感があった。先輩は佐賀の出身なので、同じ九州だから融け込むのが早かっ たと思う。間借り先の人、学校の人、アルバイト先の人等々、すぐに小倉の住民とのネ ットワークが出来た。この辺り、多少のフィクションもあろうが、それにしても馴染む のが早い。商店街を巡る人たちや学生たちを「活写」する。そこには、大いなる観察力、 記憶力と筆力がものを言う。体当たりでないと生活臭、人間の息遣いが描けない。自分 史の難しい点である。  岩橋氏は「小倉の世相人情の生き生きとした記録」という風にまとめておられる。こ の作品を「記録」ととるか、小説ととるか、その区別は難しい。自分史は記録性を重視 すると思われるので、作者はやはり「記録」を意識しているのか。いやいや作者はそう いうことには拘っていないようである。ただ脳裏にある鮮烈な記憶を「活写」している のである。「活写」することに全神経を集中している。まだまだ敗戦の負荷を背負って 生きている北九州の小倉の市民、学生たち。その中には外国人もいれば、出生の仔細が 分からない美貌の「満里子」もいるし、ヤクザの世界に生きている人もいる。謎めいた 「大谷浩」という韓国籍の人物もいる。はたまた、いずれ韓国に帰国する運命にある若 者もいる。こういう雑多な人物像を個性的に描き分けることは至難の技であるが、それ を無技巧の技巧ともいえる筆法でさらりと書いている。私は拘り過ぎて失敗することが 多いので、こういう書き方に学ぶことが多かった。  人はいつの時代も政治的・社会的な情況の中で生きている。作中では例えば思想的活 動に命を賭して生きている人物が登場する。私の記憶にもまだ生々しく残っているのが 「山本順一」という人物である。私は沖縄研究会というやや左翼的な会にも所属してい た。その学習会に中国研究会(?)の山本がふらっと姿を現して、黙って聞いているこ ともあった。  寡黙だが、大変な活動家だということを誰かから聞いていた。卒業してからは、私は その人物についてはすっかり忘れていた。ところが、世を震撼させた一連の連合赤軍の 事件が起こった。彼は悲惨なことに仲間に「総括」され凍死した。そのことを新聞やテ レビ知り、私は衝撃を受けた。娘「頼良(ライラ)」ちゃんはアジトから救出され、生 き残った。作中では、最後のところで作者はこのことに触れておられる。  学生による思想的な集会や闘争には作中の主人公「桜井修」は父の戒めもあって、近 づかないようにしている。市場の人々とは親和していく修ではあるが、デモなどの活動 には身を置かないようにしていた。そういえば、私の在学中学友会主催のデモが実施さ れた。届け出をしたデモできちんと警察官が交通整理をしてくれた。シュプレヒコール の言葉は「無謀学費値上げ反対!」であった。マイクで指示があり、そのとおりに叫ん で整然とデモっていた。ところが、マイクの指示がそのコールの後に「安保反対!」を 付け加えるように変わった。私は最初抵抗があったが、いつの間にか興奮して叫んでい た。なんだか正義感に基づいていいことをしているような気分になったのである。  やがてデモ隊は、北九州市の仮の市庁舎である元の小倉市役所に到着した。目的地で ある。すると、指示するマイクの声が急に高まって隊列の歩幅が広くなり、いつのまに か自然に市庁舎の周りを猛烈な勢いで旋回しだした。私は覚えず気分が激昂してきた。 そして、狂ったように走り回ったのである。警察官がじりじり取り巻き始めると、ます ます興奮しだした。安保反対の無届デモも恐らく相当の群集心理が左右していたのでは ないのかと、後で思った次第である。こういう場合の人間心理についても作者は冷静に きちんと指摘していた。  北九州は暴力団の小競り合いや抗争が多い土地だった。作中でもそういう場面が何度 か出てくる。犠牲者も出てきた。ある年、小倉の市街で刃物による切り合いがあった。 犠牲者が出たことが新聞などで報じられていた。現場はよく遊びに行ったところなので ぞくっとした記憶がある。作中でもそういう場面が何度か出てきた。私は、下蒲生のア パートで、ある友だち(男性)と何ヶ月か住んでいた。大学までは徒歩で通った。相当 離れていて通学路は勿論舗装してなかった。帰りに買い物をして風呂に入り、車が巻き 上げる埃をかむりながら宿に着いた。せっかく風呂に入ったのに、髪の毛が埃に汚れて いた。しかし、そこは紫川の近くで、島根の田舎を思わせる風情があった。作品の中で、 その蒲生で凄惨な暴力団の抗争があったことが記してある。そういえばそんなこともあ ったかなあと、記憶の糸を手繰ってみた。  紫川。懐かしい川の名である。「幻の川」は恐らくこの川のことだろうと思う。美貌 の「満里子」を酔漢から救う場面で彼女が呟くのは天の川だが、現実にはこの川のイメ ージだろうと思う。ではどうして「幻」なのか。恐らくこの世の混沌とした世相や時間 の流れの象徴だろうと思われる。戦後の複雑怪奇な世相は、現在の時点から回想すれば 「幻の川」の流れの中の哀愁を帯びたせつない出来事のように思われるに違いない。宮 本輝氏の作品のタイトルに「川」の付く初期の連作があるが、それに近いものを私は感 じた。  それから家庭教師の思い出も作者によく似ていると思った。  私は八幡の叔父のお世話で、ある建設業をしているお方の長男の家庭教師をしていた ことがある。お恥ずかしい話だが英語を教えていた。中学生の男の子だった。礼儀正し い子で「はい!」と気持ちのいい返事がいつも返ってきた。終わると、その男の子の姉 が2階までお茶を運んでくれた。私はそれが楽しみでせっせっと通っていたのである。 あるときそのお嬢さんが「先生はいくつですか?」と尋ねた。えっ、と思い、私は一瞬 答えの言葉を見失った。年齢を偽ることなく教えると、そのお嬢さんは「それでは、私 より一つお若いですね。…安心しました」と仰った。安心? 私は続いてどうしてです か? と尋ねたかったが、生来の小心者、くちごもって言葉にならなかった。今も、そ ういうことをどうしてとふと考えることがある。美しい顔立ちのお方であった。その子 どもは目出度く立教高校に合格した。その後のお嬢さんのことは何も知らない。「満里 子」のような運命を辿るようなお方ではなかったが、「満里子」とお嬢さんを重ねて読 んでいたことは事実である。  また、この作中にはバラック建ての住居に住んでいる若者が登場する。このバラック 建ての不法住宅のようなものは当時どこにあったのか、私の記憶にはない。私が知らな いだけなのかもしれない。これに関わって、これも懐かしく思いだすことがある。  私と友人は、最初八幡製鉄の関連会社(八幡にあった)の借り上げ社宅に住んでいた。 だから、会社員と緊張しなから食事をして、部屋に帰っても異質な存在に思えて落ち着 かなかった。その上に小倉の北方まで電車賃を払って通学しなければならない。そこで、 すぐに小倉の下蒲生に移り住んだ。そして、しばらく二人で自炊の生活をしていた。と ころが、前にも述べたように遠距離の徒歩通学はつらかった。二人で相談して、別々に 住むことにし、大学の近くを探してみた。すると、友人はあるアパートを見つけ、私は ある民家の2階に空き部屋があることを伝え知った。かくして、二人は別々の生活をす ることになった。  私が見つけた空き部屋は、いわゆる旧同和地区にあった。当時はまだ「同和対策審議 会答申」が出されていないころだったので、その集落は未整備の状態だった。しかし、 住み慣れると、家の方とか近所の方の人情の厚さを肌で感じるようになり、銭湯で世間 話をしたり、道で会うと挨拶をしたりするようになった。  「学生さん! 下でオリンピックを見ないかね! 」  親父さんが階下から大声で誘ってくれたときのことをよく覚えている。嬉しかった。 やりかけのノートの整理を切り上げて、足早に階下に駆け下りた。  「女子バレーだよ。日本がソ連とやってる」  親父さんはそう言って、家族の輪の中に入らせた。私は家族と一緒にテレビ観戦した。 学生で宿にテレビを置いているものは当時珍しかった。大松監督率いる日本チームが粘 り勝ちした。私は家族とともに歓声を上げた。その勝利は敗戦から立ち直りつつある日 本の姿を象徴していた。…しかし、その後その集落の人たちはどうしているだろう。ふ と、思い出すときがある。作中の若者も今はどうしているのだろうか。「幻の川」を読 んで、同時代に小倉のほぼ同じところで暮らしていた人たちのことが急に懐かしくなっ てきた。  さて、最後に、難題に対する私の愚見を書き加えたいと思う。    「…ただ作者が自分の観念に強くこだわっている点が、逆に物語の展開を浅くした嫌 いがあった。」  柴田翔氏はこう述べておられるが、私は軽々にこの問題の解説をしてはいけないと思 っている。いや、本当を言うと、力不足である。ただ、私は、柴田氏の経歴、作品から そういう評価は出てくるだろうと思った。  『されど我らが日々―』。私はこの作品を学生時代に読んで感動した者の一人である。 メーデー事件を経験し、その後の六全共(共産党・第六回全国協議会=昭和三十年)後 の混乱までを一種の青春小説として書き上げた柴田翔氏の出世作である。 「年をとったと言うには、あまりに若い年齢だが、やはり年をとったのだろう。私たち の世代は、きっと老いやすい世代なのだ……」  その中で特に印象に残っている会話である。ただ、この会話はすこぶる観念的な内容 である。そういう作者が「観念に強くこだわっている」と指摘している。素人の私は矛 盾しているなあと思ったりする。  ただ、桜田氏の作品には随所にはっとするような思想的内容の会話や叙述が出てくる。 この中に作者の本音の一部が吐露されているかも知れないと思えた。この作品の執筆の 意図も現代の生命軽視の混乱した世情は、この時代に「原点」があったのではという発 想にある。いや、私は間違っているかも知れない。本当はその「観念的」云々の言葉の 真意は分かっていないのである。  残念なことにもう一人の選考委員、佐木隆三氏のコメントは、文学賞の「報告書」に は「紙幅」が尽きたという理由で記載されていない。意見を一番聞きたかった人だった が、残念である。佐木氏が「新日本文学賞」を『ジャンケンポン協定』で受賞された直 後、文芸研究会の主催で講演会を開いたことがあった。八幡製鉄に勤務しておられたと 思う。その受賞作の内容がもとで、日本共産党から除名されたと記憶している。何故だ か氏を「佐木さん」と呼んでいた。沖縄で警察官殺害事件があり、その容疑者として身 柄を拘束されたことがある(この事件は誤認逮捕だった)。その経験がもととなり、い わゆる犯罪ものを手がけるようになったと聞いている。  さて、長々と書いてしまった。締め括りをしたいと思う。  桜田氏の「幻の川」の中で「活写」される、戦後の影をまだ色濃く引きずっている混 沌とした時代とその中で繰り広げられる悲喜交々のドラマ。その戦後の激流に流されつ つも生き抜いてきた主人公「修」。一見脆く見える人間像の底にある生きる力。伏線を ほどよく配してバランスよく一編の物語に仕上げた作者の力量を高く評価する。一人の 作家の誕生ということを実感した。今後のご活躍を祈念申し上げる次第である。                                     (了)
桜田 靖 著 『月の浜辺』(創英社/三省堂書店)の紹介                                      瀬本あきら              桜田氏は、本サイトの「ゲストコーナー」の著者紹介に書き込んであるように佐賀県のご出身 で、大学時代の文芸研究会の先輩である。卒業後は東京都の警察官になられた(昭和40年)。 退職後は警備保障会社の指導者になられ、現在に至っている。文学活動歴としては、大学在学中 の文芸研究会の機関誌への散文詩の発表、平成3年の散文詩集『桜岡にて』の発行、平成9年の 散文詩集『茜さす野路より』の発行、平成14年の随想『思い出すまま』の発行などが挙げられ る。今回の『月の浜辺』(平成18年)は初めての小説集である。 「著者の生まれ育った九州の山河と東京など大都会の人間模様の対比を主題に、愛情の本質と人 間の存在を追及する作品集。リゾートの小島を舞台に男女の愛憎の情景を写し出す表題作ほか、 全6篇を収録する。」  これは、本の帯のコピーである。先ず私はこのコピーが簡潔にこのアンソロジーの核心をつい て旨く表現していると思った。そこで、このコピーに私の一読後の感想を少し添えたいと思う。 繰り返し読めばもっと別の感想も出てくるとは思うが、それはまたの機会に譲りたいと思う。  読み終えて、やはり表題作の「月の浜辺」に限りない魅力を感じた。この作品の主人公は若い 頃警察官をしていた経歴のあるガードマンである。ベテランだが、腰が据わらなくて、いろいろ な警備会社を転々としていた。そして、自伝風の手記を残して一人寂しく死んでいく。作者はそ の手記を読んでいたく胸に響くものを感じる。本文はその書き残された手記を辿るという形で展 開していく。そして、その男の過去の体験を作者は「奇談」だと感じ取る。書き残した手記は、 警察官をしていたころのその男に関わった「久美子」(ホテルの総務担当重役夫人)と「幾子」 (体育教員)の二人の女性を巡る愛憎半ばする悔恨に満ちた内容だったのである。  男は、リゾート開発された島に赴任し、そこで柔道教室を開く。子供たちを対象とした教室だ ったのだが、二人の妙齢の女性も一緒に練習を始めるようになる。するとその二人の女性は互い にライバル意識をもち始める。手記の前半は柔道を通した爽やかな交流と女性同士のスポーツを 通した闘いが軽やかなテンポで描かれていた。そして、男と「幾子」とが深い関係を持つに至る 過程も綴られていた。私は、ここまでは「久美子」の「幾子」に対する激しい嫉妬心はほとんど 感じなかった。しかし、最後の月夜の浜辺の場面では命を賭した凄まじい女の闘いが噴出する。 ここで初めて「奇談」という言葉の意味が私には理解できた。すると、それまでの柔道を通した 女の闘いの底に、二人の私生活の不満やお互いの嫉妬心・猜疑心が内攻していたことが初めて分 かった。  島という舞台。女性柔道。ともにこの作品に新しさを吹き込んでいる。これは、桜田先輩でな いと書けない素材だと思った。また、女の闘いの男とは違う凄まじさも改めて感じて、背筋が寒 くなった。  続いて「丘の花」。ここでは死んだ美少女の面影を慕う若者の純な気持ちを感じ、また、「布 良(めら)の海」では、画家青木繁の「朝日」という作品を軸にして展開する物語の奥の深さを 感じた。「女神降誕」、「菊の花と富士の山」では、爽やかでほろ苦い男の恋心に好感を持った。 短編もすべてすこぶる完成度の高い佳作である。  そして、最後の「霊魂の珍談義」は、「ご隠居」と「熊さん」の対話形式による科学・宗教・ 哲学などに関する放談である。私は、ここでは先輩の学問の深さを知り、驚嘆した。中でも、最 後の「ご隠居」の言葉、「人生とは死ぬ間際までの暇つぶしかな」という達観した呟きは、そう だ、そうとも言える、と一人で納得し、思わず微苦笑した。  総じて、仕事、私生活等を通して、人生の表も裏も知り尽くした九州人としての先輩のえもい われぬ余裕というか、穏やかでしかも芯の強い心の内を感じ、先輩のご指摘通りの「業」によっ て生きつづけ、ものを書いてきた私の狭量さをいやというほど感じた。今後の私の作品に強い影 響を与えるだろうと思われる。2007年の初めにこういう佳作を読ませていただき、ありがと うございました。                                (2007.01.14) 月の浜辺 ◆月の浜辺◆丘の花◆布良の海◆女神降臨◆菊の花と富士の山◆霊魂の珍談義 ISBN:9784881422908 (4881422901) 239p 19cm(B6) 創英社/三省堂書店 (2006-10-30出版) 桜田 靖【著】 [B6 判] NDC分類:913.6 販売価:\1,890(税込) (本体価:\1,800)




2006.07.23 同人瀬本あきらの『シダの周辺』が“ホンニナル出版”から刊行されました。


シダの周辺
瀬本あきら 著
64ページ ( オールモノクロ )
サイズ B6
本体価格 1,502 円(税込)

「隠花植物の会」に所属し、シダの栽培にのめりこんでいく「戸崎博雄」の前に、
学生運動の闘士として共に闘ったかつての恋人が突然姿を現す……。昭和54年度
島根県文学連盟賞受賞作を改めて世に問う。


下記ホームページより購入できます。

ホンニナル出版 http://www.honninaru.com/web_order/publish/index.cfm




同人瀬本あきらの作品が本になり出版されました。

フーコー「短編小説」傑作集17 月華の歌君に収録されています。

掲載されている作品は、本誌『座礁』に2000年1月に発表した短編小説『かもしれない』

(原稿用紙30枚)です。

この本には、44人の気鋭の作家の短編が収められていて、十人十色の作風、個性が堪能でき

るまさに短編集ならではの万華鏡のような世界が楽しめる内容となっています。



本書には「第17回 フーコー短編小説コンテスト」の受賞作品ならびに応募作品の一部が掲

載されています。

下記ホームページから、購入できますので、是非ご一読ください。

新風舎 http://www.shinpusha.co.jp/event/contest/fuko_tanpen20/index.html





著者本人からのコメントです。


瀬本あきらとしての遅かりしデビュー版となりました。

何しろ商業的な出版は初めてですからね。

妻が最初の読者でした。

「どうだった?」と聞きますと、語気を強めて、「大分カミング・アウトしてるね」

と言いました。

私は、「やっぱりか……」と思い、この作品を正当に評価していただける

お方はいないのかもしれない、などと、やや悲観的になりました。

事実だけに注目して、瀬本という男はそんな男か、なんて思われたら

たまらないなあ、と思っています。

脆弱な瀬本が渾身の力を込めて何を言いたかったのか。

ぜひ考えてほしいと思います。

この文藝コンクールの主催者である「新風舎」の該当ページを

参照ください。できましたら、ご購入くだい。

新風舎 http://www.shinpusha.co.jp/event/contest/fuko_tanpen20/index.html